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    ロジャーズ「必要十分」論文(7)


    引き続き、カール・ロジャーズの1957年の有名な論文、「セラピーにおけるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」("The Necessary and Sufficient Conditions of Therapeutic Personality Change", Journal of Consulting Psychology, Vol. 21, No. 2, 95-103)を細かく読んでいく。

    前回(無条件の肯定的配慮)まで「必要充分」と表現してきたが、今回から「必要十分」と表現することにした。

    日本語では「必要条件、十分条件」と表現するのが一般的なようだから。

    sufficientには「十分」の訳語を、enoughには「充分」の訳語をあてることにした。


    前回は六条件のうちの第四条件にかんする解説部分、「無条件の肯定的配慮」を読んだ。


    今日は、第五条件の解説にあたる、「共感」を読む。


    この部分は、正直、まったく意味がわからない。

    こうした事態がいかにして可能だと、ロジャーズ(や心理学者)は考えているのだろうか?

    そうした根本的な疑義は重要なので、失うべきではないと思う。

    目の前の人物(クライアント)の体験や感じていることを、知ることが可能であると、彼らは信じているのだろうか。

    信じているとしたら、その正しさ(知っていることの内容の妥当性)をいかにして証明できると考えているのか。


    伊東訳で問題のない部分だし、私訳をさっと示して通過することにしよう。


    第一段落が長いので、3つのパートに分けた。



    共感

    第一段落パート1:

    Empathy

    The fifth condition is that the therapist is experiencing an accurate, empathic understanding of the client's awareness of his own experience. To sense the client's private world as if it were your own, but without ever losing the "as if" quality -- this is empathy, and this seems essential to therapy. To sense the client's anger, fear, or confusion as if it were your own, yet without your own anger, fear, or confusion getting bound up in it, is the condition we are endeavoring to describe. When the client's world is this clear to the therapist, and he moves about in it freely, then he can both communicate his understanding of what is clearly known to the client and can also voice meanings in the client's experience of which the client is scarcely aware. As one client described this second aspect:

    もう一文目からわからない。

    「クライアントが体験していることについてのクライアントの気づき、それについて正確な理解・共感的な理解をセラピストが体験する」

    という事態は、私にはテレパシーのような超常現象であるように思える。

    「クライアントの私的な世界」を「あたかも自分のもののように感じ取る」ということが可能であるといえる根拠はなんなのか。

    クライアントは「怒り」「恐れ」「混乱」といったヴォキャブラリーで自分の体験を語るかもしれない。

    セラピストは「同じ」ヴォキャブラリーを用いて自らの体験を検索するかもしれない。

    セラピストはヴォキャブラリーを手がかりにさまざまな推論をめぐらせるかもしれない。

    クライアントが「怒っています」と言ったときに、セラピストは「怒っているのですね」と述べるかもしれない。

    これらの事態は、コミュニケーション(というか交流)が矛盾なく滞りなく進行している、というだけのことである。

    クライアントの体験と、セラピストの体験(の理解)が「同じ」であるということを、なにが担保しているのだろうか。

    「根本的な疑義」と述べたのはこうした意味においてである。


    私訳:

    共感

     第五条件は、クライエント自身の体験についての、彼の気づきに対して、セラピストが正確な、共感的な理解を体験しているということである。クライエントの私的世界をあたかもあなた自身のものとして感じ取ること、しかしこの「あたかも、かのように」の性質("as if" quality)を決して失わないこと――これが共感であり、これがセラピーにとって不可欠であるように思われる。クライエントの怒り、恐れ、あるいは混乱を、あたかも自分自身のものとして感じつつも、あなた自身の怒り、恐れ、あるいは混乱をそこに関与させることがないこと――これが我々が記述しようと努めている条件である。クライエントの世界がセラピストにとってこれほどに明確であり、その中を自由に動き回るとき、セラピストは、クライエントが明確に知っていることについての自分の理解を伝えることも、クライエントがほとんど気づいていないクライエントの体験に存する意味について表明することも可能なのである。あるクライエントはこの第二の側面をこう表現している。


    第一段落パート2:

    "Every now and again, with me in a tangle of thought and feeling, screwed up in a web of mutually divergent lines of movement, with impulses from different parts of me, and me feeling the feeling of its being all too much and suchlike -- then whomp, just like a sunbeam thrusting its way through cloudbanks and tangles of foliage to spread a circle of light on a tangle of forest paths, came some comment from you. [It was] clarity, even disentanglement, an additional twist to the picture, a putting in place. Then the consequence -- the sense of moving on, the relaxation. These were sunbeams."

    クライアントがセラピストの言動をどのように体験したのか、という描写だが、ここも面談室で行われたコミュニケーションを「その」クライアントがどのように体験(観察し、内部帰属や外部帰属を)したのか、ということを記述しているだけであるようにみえる。

    「あなたの言葉が(=外部帰属)私には太陽の光のように感じられました(=内部帰属)」と。

    同時代のベイトソンらのコミュニケーション派はこうした事態をどのように記述するのだろうか。


    私訳:

    「しばしば、私の思考や感情がゴチャゴチャして、動きが相互に拡散している線からなる網のなかでめちゃめちゃになって、衝動が私の別々の部分から生じていて、もう手に負えないとかそういう感じになっているとき――ピシャリという音が、まるで厚い雲の層と木の葉のゴチャゴチャを突き通して、ゴチャゴチャした森の小道に光の輪を拡げる太陽の光みたいに、あなたからあるコメントがやってきました。[それは]明瞭さであり、解放ですらあり、状況に展開を加え、整理するものでした。そうしてその結果――前進している感覚が、リラクセーションの感覚があったのです。これらが太陽の光でした」。


    第一段落パート3:

    That such penetrating empathy is important for therapy is indicated by Fiedler's research (3) in which items such as the following placed high in the description of relationships created by experienced therapists:


    The therapist is well able to understand the patient's feelings.


    The therapist is never in any doubt about what the patient means.


    The therapist's remarks fit in just right with the patient's mood and content.


    The therapist's tone of voice conveys the complete ability to share the patient's feelings.

    4つの項目のうち、前半のふたつがセラピスト側の内部帰属、後半のふたつがクライアント側の内部帰属を表現している。

    もしこれらの項目を、すべてセラピスト側の内部帰属である、と主張するならば、かなり強い主張をしていることになる。

    つまりテレパシーのような科学的合理性からは逸脱するような現象を主張していることになる。


    私訳:

    こうした鋭い共感がセラピーにとって重要であるということは、フィードラーの研究[文献3]によって示されており、そこでは次にあげるような項目が、熟練したセラピストによって創られる関係をあらわすさいに、高い位置にきている。


    セラピストは患者の感情をよく理解できる。


    セラピストはけっして患者の言わんとすることに疑いを持たない。


    セラピストの発言は、患者の気分や伝えようとしていることにちょうど適合している。


    セラピストの声のトーンは、患者の感情を共有する完全な能力を伝えている。


    第二段落:

    An operational definition of the therapist's empathy could be provided in different ways. Use might be made of the Q sort described under Condition 3. To the degree that items descriptive of accurate empathy were sorted as characteristic by both the therapist and the observers, this condition would be regarded as existing.

    セラピストと観察者、というふたつの観察者による記述が、どの程度一致しているのか、によって、セラピストの共感が定義できる、という主張。

    ここはさらに困難を抱えているように思える。

    「その」コミュニケーションを、セラピストは観察しているだろうし、観察者も観察しているだろう。

    「セラピストがヘマをやった」ということを観察者は観察できるだろうし、セラピストも観察できるかもしれないし、経験不足から観察できていないかもしれない。

    これらはすべてコミュニケーションの観察であって、セラピストの「共感」(内面)の観察ではない。

    ましてやクライアントの体験の観察ではありえない。


    私訳:

    セラピストの共感の操作的定義は、さまざまな方法によってなされうるだろう。第三条件のところで書いたQ分類も使えるだろう。正確な共感を記述する項目が、セラピストと観察者の双方によって、特徴として分類されるその限りにおいて、この条件が存在しているとみなされるだろう。


    第三段落:

    Another way of defining this condition would be for both client and therapist to sort a list of items descriptive of client feelings. Each would sort independently, the task being to represent the feelings which the client had experienced during a just completed interview. If the correlation between client and therapist sortings were high, accurate empathy would be said to exist, a low correlation indicating the opposite conclusion.

    この方法はもっとも説得力をもちうるだろう。

    「こうした事態」を「共感的理解」という用語でよぶと仮定しよう。

    (おそらく一般的な「共感」という語法と変わらないだろう)

    ただしこれも、「その」コミュニケーションを、セラピストはどのように観察し、クライアントはどのように観察したのか、ということを、「同じ」ヴォキャブラリーで(「同じ」Qソートテクニックを使用するのだから)記述するか、という第一段落冒頭の問題に戻ってくるというだけである。


    私訳:

    この条件を定義するもうひとつの方法は、クライエントとセラピストの双方が、クライエントの感情をあらわす項目のリストを分類することである。それぞれが独立に分類するのだが、この目的は、クライエントがちょうどやり終えた面談のあいだに体験した感情をあらわすことである。もしクライエントとセラピストの分類のあいだの相関関係が高ければ、正確な共感が存在していると言え、相関関係が低ければ、その反対の結論を示していることになる。


    第四段落:

    Still another way of measuring empathy would be for trained judges to rate the depth and accuracy of the therapist's empathy on the basis of listening to recorded interviews.

    これは委員会手法とでもいうべきか。

    たんてきにコミュニケーションを共同体内部の合意形成によって同定する作業である。

    セラピストの内面もクライアントの内面も観察不可能である。


    私訳:

    共感を測定するさらにもうひとつの方法は、訓練された判定者が、録音された面談を聴くことによって、セラピストの共感の深さと精確さを評定することである。




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    (2月21日分)

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