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    ビーバーズ・モデル:家族にふりかかるストレス(3)


    Hotel Room3
    使用機種
    E-PL2
    使用レンズ
    M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
    絞り値
    F2.8
    シャッター速度
    1/80秒
    ISO
    1600
    露出補正
    +0.3EV
    撮影日時
    2014/01/11 22:53:13




    ビーバーズ・モデル:家族にふりかかるストレス(3)



    昨日に引き続き、「家族にふりかかるストレス」シリーズ


    今日は精神科医ロバート・ビーバーズらが開発した、家族システムの健康性を尺度化するモデルについて。

    昨日の、オルソンによる「家族円環モデル」と同様、これも二次元の行列に個々の家族をプロットしていくタイプのモデルだ。

    ビーバーズらは、統合失調症の患者がいる家族から、特に問題を抱えていない家族までを対象に、ビデオや録音テープによる相互作用の観察を行ってデータを収集し、このモデルを考案した。

    昨日の家族円環モデルが「機能的/非機能的」の差異について述べるときに、「なにごとも中ぐらいがいいんですよ」みたいな、比較的穏当なものだったのに対し、これはいきなり家族メンバーの精神疾患にまで触れていて、過激って言えば過激。

    まあ、ビーバーズのも、「家族スタイル」は中ぐらいがいい、というところは一緒なのだけど、「家族の病理性」に触れているところが、論争含みな点だと思う。

    まあ、問題点については、あとで触れると思う。



    まず、ビーバーズのモデルにおける「家族スタイル」は、遠心的家族スタイル・求心的家族スタイル・その混合に三区分される。

    この区分は、ドイツの精神科医スティアリン(Stierlin, H.)が、青年期の子どもが家族から分離する過程を観察して、「遠心的パターン」と「求心的パターン」に区別したことに依拠している。


    とりあえず図を見ていただいて、解説しよう。

    ビーバーズ・モデル

    まず、遠心的家族スタイルとは。

    家族の内外を区別する境界が薄く、メンバーを家族内に引き止める力が弱い。

    「厄介者」扱いされた子どもは一刻も早く家族の外に出て、独立しようとするが、未熟な状態のまま家を離れてしまう。

    その結果、凝集性の高い所属集団に仲間入りしてそこで擬似家族体験を味わったり、同世代の友人と徒党を組んで非行に走る、窃盗や器物破壊等の問題行動を呈しがちになる

    (平木・中釜[2006])

    さらに悪化すると重度の境界例症状をもつ子どもが出現し、さらにもっと悪化すると違法行為を繰り返す社会病質とよばれる子どもが出現する、とされている。


    逆に、求心的家族スタイルとは、

    家族の境界が頑強で融通が利かず、メンバーを内に閉じ込めておく力が強い。そのため、青年たちの家離れは容易に許されずなかなか実現しない。外の世界との交流が限られてしまう結果、家族は風通しの悪い閉鎖集団となり、神経症的な問題を呈する子どもが現れやすい

    (平木・中釜[2006])


    この「中庸のすすめ」的な部分が、オルソンの家族円環モデルとの共通点。

    つまり家族の絆は強すぎても弱すぎてもダメ。

    出入りはある程度自由だが、安心で安全なホームベースとして機能している、というのが理想。


    ところでビーバーズのモデルは、観察法によって「機能的/非機能的」の分類(5段階の分類)がなされているのだが、上図の下部に、a~eでラベルを貼った。

    平木・中釜[2006]からの孫引きになるが、引用しておこう。


    a ネゴシエーションが上手。個々人の選択とアンビバレンスが尊重されている。あたたかみ・親密さ・ユーモアが認められる。

    b 比較的明瞭な境界。しぶしぶながらアンビバレンスが心の痛みと共に認められる。あたたかみが感じられることがある。コントロールをめぐる葛藤が認められる。

    c 比較的明瞭なコミュニケーション。愛ゆえのコントロールを体現しようという努力・怒り・不安・抑うつはそれなりに制限されている。

    d カオスから専制的コントロールへの移行。貧弱~厳格でバラバラな境界。抑うつ・突発的な怒りが認められる。

    e 貧弱な境界、混乱したコミュニケーション、注視先の共有のなさ、ステレオタイプな家族のプロセス、絶望・皮肉・アンビバレンスの否認が認められる。


    このように列挙してみると、誰しも感じることだが、「この家族はここにプロットできる」という完全な観察はありえないだろう。

    「ユーモアがあり(a)、あたたかみが感じられることがあり(b)、コントロールしようという努力はそれなりに制限され(c)、突発的な怒りがあり(d)、注視先の共有がない(e)」

    という家族があったとしたら(それはとても自然で当たり前の家族のように見える)、どこに分類されるのだろうか。


    ビーバーズの研究は1976年に始まり、1990年のHampsonとの共著で完成している。

    この"Successful Families"という著作は、アメリカのAmazonでは1セントで中古が買えるのだが、日本では2000円ぐらいする。

    そんなわけで私は読んでいないのだが(だって日本のテキストでも平木・中釜[2006]ぐらいしか取り上げてないんだもん)、たぶん、ビーバーズは、家族成員に特定の精神障害を持った人物がいるかどうか、ということを、識別のひとつのポイントにしたのではないだろうか。

    「ひとつの」というのは、もちろん、コミュニケーションのパターンがもっとも重視されただろう、と思うからだが(読んでないので憶測でしかない)、ある家族がつねに一定で同一のパターンを繰り返すということは考えにくい。


    また、ある家族のコミュニケーション・パターンを、どのように認知するのか、ということも、家族メンバーによって異なるだろう。

    例えば「境界的機能不全」かつ「遠心的」にプロットされる家族には、境界例の子どもが多い、とされているのだが、境界例の子どもの器質的要因として、「環境への過敏さ」が挙げられる(仮説として。そもそも境界例の病因はいまだ不明である)。

    そのとき、子どもは「家族の反応が適切でない」と感じているかもしれないが、その他の家族はその子どもに穏やかな愛情を注いでいるだけかもしれない。


    もっと論争的なのは、「重篤な機能不全」かつ「求心的」にプロットされる家族には、統合失調症の子どもが多い、とされている点。

    これでは、「機能不全家族が統合失調症の原因になる」と言っているようなものではないか。

    統合失調症は、その症状として、コミュニケーション上の障害を呈する。

    したがって、家族メンバーに統合失調症の患者がいた場合、コミュニケーションが混乱するのは当然のことだ。

    また「皮肉・アンビバレンス」といった「含意に富んだコミュニケーション」を避けるのは、家族が患者に接するうえで、ベターなやり方なのは周知の事実である(引用が孫引きなので、誤読しているかもしれない――「絶望・皮肉」が見られ、「アンビバレンス」が否認されているのかも)。


    統合失調症についても、病因は特定されていない。

    器質的要因が3分の2、社会環境的要因が3分の1、といわれている。

    ベイトソンの「ダブルバインド仮説」は、いまではおおよそ「原因とはいえない」ということで見解が一致しているが(もちろん3分の1は社会環境的要因なので、「原因でないともいえない」のだけど)、ビーバーズのモデルが、「相関関係と因果関係」につきものの「虚偽の原因の誤謬(false cause)」に陥っていることが疑われる。


    ……と「問題点」をあげたところで、おしまい。




    【文献】






    ダイエット

    (1月15日分)

    364日目。

    体重64.2kg(18.3kg減)。体脂肪率17.1%(10.5%減)。


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    タロットエクサイズ


    The Wheel of Fortune
    10. The Wheel of Fortune【運命の車輪】

    キーワード

    • 運命
    • ターニングポイント
    • 動き
    • 自分自身のヴィジョン

    アクション

    【運命を感じる】
    • 与えられたチャンスを活かす
    • 運命の糸車を感じる
    • 思いがけないことの中に好機を見いだす
    • 運命の巡り合わせを受け入れる
    • 運命の働きを感じる
    • 奇跡を目撃する
    【ターニングポイントに立つ】
    • 転換する
    • 違う方向へ動く
    • 物事が一変する
    • 運命の中に変化をもたらす
    • ことの推移を見守る
    • 物事の変化に驚かされる
    【動きを感じる】
    • 変化を経験する
    • 人生のテンポがスピードアップすると感じる
    • 新しい展開のほうへ押し流される
    • 世界に活気が戻ってくる
    • 巻き込まれる
    【自分自身のヴィジョン】
    • すべてのものごとがいかにつながっているかを知る
    • さらなる気づきを得る
    • ものごとのパターンとサイクルが見えてくる
    • 見通しが広がる
    • より大きな視野が開ける
    • 自分の役割と目的を知る


    ギリシャ神話に登場する3人の運命の女神はモイライとよばれる3姉妹だ。

    長女のクロトが運命の糸を紡ぎ、次女ラケシスがその糸を手繰り寄せ(人間に「割り当てる」――モイラとはギリシャ語で元々「割り当て」という意味であった。モイライはモイラの複数形である)、三女アトロポスがその糸を断ち切る。

    そこでは、運命というものが、糸つむぎ車の回転としてイメージされ、人知のおよばない、とらえどころがないものとしてみなされている。


    タロットカードの「運命の輪」(この項目では「運命の車輪」とよぶことにするが)は、ローマ神話の運命の女神フォルトゥナをモデルとしているといわれる。

    英語の"fortune"(幸運、運命)の語源とされている。

    彼女は、運命の不安定さを象徴する球体に乗り、運命を操るための舵を持っている。

    舵は「操舵輪」ともよばれるが、車輪のように見える。


    「運命の車輪」の特徴は、人間が描かれておらず、雲が象徴する人間を超越した世界を描いている点にある。

    タロットはしばしば人間に、自分の進むべき道が何であるか、自分自身で気づくことを促すのだが、このカードは、そうした人知のおよばないところで働く力への気づきをも促してくれる。


    「プランド・ハプンスタンス」という概念をご存知だろうか。

    直訳すれば「計画された偶然性」とでもなる。

    この宇宙に生じるできごとは、あまりにも因果関係が複雑すぎて、あらゆることを「すでに決定されている」とみなすことがほとんど不可能に近い。

    物理学の世界においてすらいまだ結論が出ていない問題に、我々日常生活者が結論を出すことなど、これもまたほとんど不可能だ(興味があれば「ラプラスの悪魔」「コペンハーゲン解釈」「エヴェレットの多世界解釈」などで検索してみるとよい)。

    そして、我々は、この予測不可能な世界で生じるできごとを、「偶然」として解釈する。

    そして、偶然によって生じたできごとに、自分の人生が大きく左右されていることも、体験的に知っている。

    「プランド・ハプンスタンス」という概念が示すのは、そうした偶然は、じつは計画されたものなのだ、と解釈するスタイルだ。

    これは悲観論ではない。

    もし嫌なできごとが起きたなら、「これをのりこえることが、自分の成長にとって重要だ。このできごとは、自分を成長させるための計画なのだ」と考える。

    もし自分の人生を良い方向に押し進める素晴らしい出会いがあったなら、「この出会いは計画されたものだ。そしてこの出会いが可能になったのは、そのための準備を怠らなかったからだ」と考える。



    このカードは、「思いがけない偶然によってもたらされたものと見えたとしても、それはあらかじめ定められた運命の大きな計画の一部でもある」ということを示している。


    このカードのメッセージは、「予期せぬ出会いや運命の意外な進展があること、またそれに気づくこと」「思ってもみなかったところに、じつはチャンスがあるということに気づくこと」「変化のただ中にいること、あるいは入っていくこと」「人生の流れが急速に転換し、スピードアップした感覚を得られること」「動きを感じること」などである。

    また、このカードのもつ、人知を超えた大きな力のヴィジョンが、「一歩下がって、広い視野で見渡し、あらゆる要素のつながり(関係づけ)、そこに働いているパターンやサイクルを発見すること」「大きな見通しのなかでの、自分の役割や目的を見つけること」といったメッセージをも伝えている。




    リバース(逆位置)については、一般的に、次のようなことが考えられる:

    • 今はまだ、時期尚早である
    • 勢いとパワーを失っている
    • 妨害されている、あるいは制限されている
    • 必要なものがまだそろっていない
    • 状況に適していない
    • 本人が拒否している
    • うわべだけの状態


    まず第一に言えることは、あまりにも同じようなパターン、サイクルにどっぷりと浸かってしまっているため、そこから抜け出したり、もっと大きなパターンやサイクルに視野を移動させることが難しくなっているのかもしれない。「なぜ今日も昨日と同じ日常が続くのだろう」という思いは、多くの場合、我々を疲れさせる。あるいは、居心地が良すぎて、そこから逸脱することへの抵抗感を生じさせているのかもしれない。この場合、「何か違うことをやってみる」という「例外づくり」の手法が有効だろう。それも、あまりにも意外すぎて、驚くような例外をやってみるのが良い。河原で後ろ向きに全力ダッシュ、朝起きたら「天使のねんど」で何か1作品作る、などなど。

    「例外づくり」のポイントは、「うまくいったら、それをもっとやる」「うまくいかなかったら、別のことをやる」これだけである。


    第二に、このカードの意味に反して、人生のスピードが、とてもゆっくりになっているように感じられるかもしれない。変化があるのかないのか、よくわからないような、スローテンポの生活。人生に疲れた人々は、そうしたスローな生活を好むものだが、あなたは、本当に何も変化がないのか、本当に変化はゆっくりなのか、と注意深くあるべきだろう。あまりにも自分の動きが速いと、景色はゆっくりとして見える。実はあなたはすでに、かなり高速に動いているのかもしれない。その高速の動きを、変化のスピードに活かすことができれば、風景もまた高速に動き出す。あなたが速く変化すれば、景色・見晴らしもまた、高速に動いているようにみえる。


    第三に、意図しない、期待とは異なる方向への運命の流れに、巻き込まれてしまっているのかもしれない。「巻き込まれ」は、このカードのもつ唯一と言って良いネガティブな意味でもある。「巻き込まれている」という受動的な体験は、多くの場合、あまりよい感情につながらない。ここで重要なのは、その流れにあなたは「巻き込まれたいのか、抜け出したいのか」ということを決断することだ。「なんだかわからないが、大きな流れに巻き込まれている。しかしこの流れにのって、どこに行くのか、それはそれで興味深い」と思うのであれば、それは大きなチャンスをもたらすだろう。逆に、確実にあなたにとって不幸な方向へと流れていて、そこから「抜け出したい」と思うのであれば、このカードの「ヴィジョンの力」を借りるべきだ。一歩ひいて、大局をみきわめること。悪循環を発見したら、その循環に切断線を導入すること。あなたの役割は、その悪循環の切断にあるのかもしれない。





    【参考文献】




    今日の詩篇

    犀の角

    42 四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

    43 出家者でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少なく、犀の角のようにただ独り歩め。

    44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを棄て去って、在家の束縛を断ち切って、健〔たけ〕き人はただ独り歩め。

    45 もしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

    46 しかしもしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

    47 われらは実に朋友を得る幸〔しあわせ〕を讃め称える。自分よりも勝れ〔すぐれ〕あるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過〔つみとが〕のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

    48 金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

    49 このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。


    (『スッタニパータ』「蛇の章」より部分引用。中村元訳)





    なぞかけエクササイズ


    「お題」をランダムに決め、ととのえる練習。


    今日のお題(Yahoo検索 急上昇ワード デイリーよりキーワードをランダムに選出)

    • 阿澄佳奈
    • おおすみ
    • ボーイ・ジョージ
    • とっとちゃん
    • 亀戸



    ととのいました。

    「阿澄佳奈とかけまして、ラバーダックと解きます。その心は、どちらもちっちゃくないでしょう(「ちっちゃくないよ」で検索のこと)」




    ととのいました。

    「おおすみとかけまして、パイプラインと解きます。その心は、どちらも輸送(油送)するでしょう」




    ととのいました。

    「ボーイ・ジョージとかけまして、新聞部と解きます。その心は、どちらも文化部(カルチャー・クラブ)でしょう」




    ととのいました。

    「とっとちゃんとかけまして、 学習院大学と解きます。その心は、どちらも目白でしょう」




    ととのいました。

    「亀戸とかけまして、偕楽園と解きます。その心は、どちらも梅屋敷(梅や四季)が有名でしょう」





    ちょっと気になることエクササイズ


    「ちょっと気になることはなんですか」と聞かれても、まったく思い浮かばないため、気になることを探すエクササイズ。


    じつは、長年、この人と結婚したい、と思っていた相手がいるのですが、その人が最近、入籍してしまいまして。

    ちょっと、そのことをどう受けとめればいいのか、よくわからず、自分の中でモヤモヤしている状態です。

    もちろん、その人には、幸せになって欲しいのですが、こんなモヤモヤしている状態で、安易に「ご結婚おめでとうございます」なんて言うのは、自己欺瞞を感じて、躊躇してしまうのです。

    その相手の方は、私のことを知りません。

    いわゆる芸能人でして、私が一方的にその方のファンだったということなのですが。

    芸能人に対して恋心を抱いたりするのは幼稚なことだとは分かっているのですが、なにぶん、長年注目してきた方なので、思い入れが大きいのです。

    どのように自分の気持ちの整理をするべきなのか、というのが、今の悩みです。





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