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    家族円環モデル:家族にふりかかるストレス(2)

    Hotel Room2
    使用機種
    E-PL2
    使用レンズ
    M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
    絞り値
    F2.8
    シャッター速度
    1/800秒
    ISO
    1600
    露出補正
    +3.0EV
    撮影日時
    2014/01/11 20:46:42



    家族円環モデル:家族にふりかかるストレス(2)


    この「家族にふりかかるストレス」シリーズでは、家族心理学で最大公約数的に扱われてきている、評価や尺度、アセスメント・モデルを取り上げている。


    そもそも「健康な家族」と「不健康な(病理的)家族」という尺度化をすること自体に抵抗を感じるかもしれないし(いわゆる病理学モデル)、そこに保守的なイデオロギーを感じ取るかもしれない。

    病理学モデルのもつイデオロギーを研究する学問は、主に社会学が担ってきたが(ぼくも元社会学徒として、そういう指向をそなえている)、社会学が学際的な発言力を失って久しい。



    今日取り上げるのは、「やや古めの」家族心理学のテキストには決まって登場する、デヴィッド・H・オルソンらによって開発された「家族円環モデル」だ。

    「やや古めの」というのは、出版年というよりも、編著者のスタイルに依存する。

    岡堂哲雄[1991]ではかなり詳しく紹介されている。

    亀口憲治[2000]ではヒル(1940年代)やマッカバン(1980年代)のモデルを紹介し、オルソンらの研究を「新たなアプローチ」とよんで、名前だけあげている。

    平木典子・中釜洋子[2006]では見開き2ページを使って紹介されている。

    中釜洋子・野末武義・布柴靖枝・無藤清子[2008]では名前さえ出てこない。


    岡堂がページ数を割いて詳細に紹介しているのに対し、亀口がヒルやマッカバンよりも新しいものとして紹介しないという点も面白い(ヒルは家族社会学者であり、「ABCX公式」=「ジェットコースター・モデル」で有名。岡堂もヒルには言及している)。

    「面白い」というのは、世代的には亀口(1948年生まれ)のほうが岡堂(1932年生まれ)よりも若い世代に属するからだ。

    これは世代によって保守的かそうでないかという区別が生まれるというよりも、やはりスタイルの差異に起因するのだろう(亀口は家族アセスメントツール「FIT」の開発者であり、「天使の粘土」を臨床に使っていることでも知られる。ちなみに私がトレーニングを受けた時は「天使の粘土」――これは綿アメみたいに柔らかくて、今までに感じたことのない感触を味わうことができる――のレクチャーを受けた。この道の先輩兼師匠にあたる方からは、「FITを勉強して欲しかった」と言われたが……)。

    亀口はマッカバンによる「二重ABCXモデル」が気に入っているのかもしれない。




    前置きが長くなったが、オルソンによる家族円環モデルとは、具体的には、次のような図で表される。

    家族円環モデル

    オルソンらの研究は、家族の機能について、凝集性・適応性・コミュニケーションの三次元を中心に捉えている。

    この三次元を使って、家族や夫婦といったシステムをタイプ別に分類する。

    その機能に応じて、家族が変化・移行することを考慮に入れた、動的モデルである。


    三次元といいつつ「コミュニケーション」の軸がないじゃないか、と思われるかもしれないが、「凝集性と適応性の二次元を促進させる働きをもつ次元」である。


    まず凝集性の軸を見よう。

    凝集性は、「家族成員がお互いに対して持っている情緒的きずな」と定義され、家族成員の心理的距離をあらわす。

    軸を[低]の左から、[高]の右に向かって見ていけばわかるように、「遊離(disengaged)」「分離(separated)」「結合(connected)」「膠着(enmeshed)」の4段階に分けられる。

    遊離状態だと、成員がてんでバラバラ、膠着状態だと、動きがとれないほど強く絡みあっている。

    両極端な「遊離」や「膠着」は非機能的で問題状況を呈しやすいとされる。

    中程度の「分離」や「結合」は機能的で、自立と結合のバランスがとれているとされる。


    次に適応性の軸を見よう。

    適応性は、「夫婦および家族システムが、状況的・発達的危機に対して、その構造、役割、ルールを変化させる能力」と定義される。

    軸を[低]の下から、[高]の上に向かって見ていけばわかるように、「硬直(rigid)」「構造化(structured)」「柔軟(flexible)」「無秩序(chaotic)」の4段階に分けられる。

    両極端な「硬直」や「無秩序」は非機能的であり、変化がありすぎても少なすぎても問題があるとされる。

    中程度の「構造化」や「柔軟」は機能的であり、家族ライフサイクルに応じての適応がよいとされる。



    この、4段階からなる一次元軸を直交させた、二次元のテーブルとしてみると、4×4=16種類の家族タイプに、それぞれの家族がプロットできることになる。

    また、上述したように、どちらの尺度も、中程度がよく、極端だと悪い(非機能的である)とされている。

    したがって、この直交座標の中心に近ければ近いほど、良い(機能的)家族ということになる。

    ここから、この直交座標上に2つの円を描き、それぞれ「バランス群」「中間群」「極端群」と分類することもできる。



    バランス群にあたる家族ほど適切に機能する健康な家族が位置しやすく、極端群では問題のある家族が位置しやすいという仮説に基づいている。

    2軸を測定する測定尺度としては、自己報告によるFACES III(Family Adaptability and Cohesion Evaluation Scales)や、観察法によるCRS(Clinical Rating Scales)がある。


    ちなみにFACES IIIから質問項目をいくつか抜粋すると:

    • 私の家族は、困った時、家族の誰かに助けを求める。
    • 私の家族では、家事・用事は必要に応じて交代する。
    • 家族がまとまっていることは、とても大切である。
    • 私の家族では、問題の解決には子どもの意見も聞いている。
    • 家族のきまりは、必要に応じて変わる。



    あなたの家族は、この円環モデルのなかの、どこに位置づけられるだろうか?


    ところで、このモデルは、個々の家族を、一義的に、直交座標のなかの一点に位置づけることが可能である、ということを前提にしている

    しかし、現実はそうなっているのだろうか?

    亀口憲治のFITは、家族メンバーに、それぞれが自分の家族について抱いているイメージを、シールを使ってプロットしていくワークシートになっている。

    その意味では、FACESによるアセスメントに似ている。

    ところが、FITの面白いところは、家族メンバー全員にやらせるところにある。

    やってみると、同じ家族のメンバーなのに、それぞれが自分の家族について理解していることや把握していることが、まったくてんでバラバラである。

    バラバラだから遊離家族なのかというと、そういうことではない。

    できあがった家族イメージを、家族メンバーが互いに見せ合うと、こんなにも違っているのか、と驚きが生じる。

    この驚きの体験が重要なのだ。

    亀口は、一貫して、家族療法における体験的な要素を重視している。





    【文献】






    ダイエット

    (1月14日分)

    363日目。

    体重64.9kg(17.6kg減)。体脂肪率17.9%(9.7%減)。


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    タロットエクサイズ


    The Hermit
    9. The Hermit【隠者】

    キーワード

    • 内省
    • 探求
    • 導き
    • 孤独

    アクション

    【内省的になる】
    • 熟考する
    • 心の内側へ集中する
    • 感覚に重きを置かない
    • 心を静める
    • 答えを自分の中に探す
    • 理解すべきことがある
    【探求する】
    • より大きな理解を求める
    • 何かを探し求める
    • どんなことをしても真実を求める
    • 自己探求の旅に出る
    • 現状にとどまらない
    • 新しい方向性を求める
    【導きを受ける/与える】
    • 助言者のもとへ行く/助言者になる
    • 賢い忠告を受ける/与える
    • 導師の教えを受ける/導師になる
    • 信頼できる教師になる/のもとへ行く
    • 助けられる/助ける
    【孤独を求める】
    • ひとりになることが必要
    • 静けさを求める
    • 世間から身を引く
    • 隠遁生活をする
    • 気を散らすものを手放す
    • プライベートな世界にとどまる

    「隠者」は、内なる世界へと沈静していくために、社会で生きることから身を遠ざけ、自らの内側にこそ見つけられる答えを求める。

    そして彼はその答えが、静けさと孤独によってのみ得られるものであることを知っている。

    彼は「当たり前」とされていることを疑い、慣れ親しんだ世界よりももっと深い真実があると感じ、それを探求し始める。

    ここにはヨーロッパの伝統的な隠者の姿が描かれているが、東洋の修行僧がたどる道もほとんど同じである。

    もっともわかりやすい例は、「十牛図」とよばれる、禅の入門書――といっても10枚の絵なのだが――である。

    「隠者」を理解するには、この「十牛図」を使うのが手っ取り早いので、解説する。

    「十牛図」のそれぞれの図柄はWikipediaの項目を見て欲しいが、宋代の禅僧、廓庵〔かくあん〕によるものがもっとも有名で、中国・日本で広まった。

    「十牛図」の概要はこうだ:

    1. 尋牛(じんぎゅう):牧人が牛を探そうとする。ここで「牧人」は修行僧の象徴で、「牛」は悟りの象徴だ。
    2. 見跡(けんせき):牧人が牛の足あとを見いだす。ここで「足あと」は経典や師の教えの象徴だ。
    3. 見牛(けんぎゅう):牧人が牛の姿をかいまみる。部分的に悟りを理解するが、まだ身につけてはいない状態。
    4. 得牛(とくぎゅう):牛に縄をつけて力づくでつかまえる。まだ修行僧は自分の心をコントロールできていない。
    5. 牧牛(ぼくぎゅう):牛を飼い慣らしているが、手綱は緩めていない。ここが修行の段階だ。
    6. 騎牛帰家(きぎゅうきか):牛に乗って家へ帰る。悟りを自分のものにした状態。
    7. 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん):家に帰って、牛のことは忘れてしまう。悟りは外にあるのではなく、自分自身の内にあることに気づく。
    8. 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう):図には何も描かれていない。牛も自分も忘れ、無から空へ移行する。
    9. 返本還源(へんぽんげんげん):ありのままの自然が描かれている。修行をして得られた悟りも、元々そこに存在していた。
    10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ):牧人は和尚となり、山をおりて町へ出る。粗末な着物にとっくりをぶらさげて、愚か者のような振る舞いで、人々と接する。タロットの0番、「愚者」となる。

    (各図の読みがなは中野東禅和尚の書籍に倣った)


    まず、「隠者」のメッセージは「気を散らす瑣末なものから身を遠ざけ、ひとりになって内省し熟考する時間が必要である」ということ。

    十牛図でいえば、「得牛」「牧牛」にあたるだろう。

    また、「どんな分野であれ、それを探求する必要がある」「より一層の深い洞察や真実を見つけ出さなければならない」ということ。

    十牛図でいえば、「尋牛」にあたるだろう。

    さらに、「助言者・導師・教師に教えを請う」と同時に、「助言者・導師・教師になる」ことをも意味する。

    十牛図でいえば、「見跡」と同時に「入鄽垂手」をも意味する。




    リバース(逆位置)については、一般的に、次のようなことが考えられる:

    • 今はまだ、時期尚早である
    • 勢いとパワーを失っている
    • 妨害されている、あるいは制限されている
    • 必要なものがまだそろっていない
    • 状況に適していない
    • 本人が拒否している
    • うわべだけの状態


    まず第一に言えることは、孤独な内省が必要であるにもかかわらず、孤独への恐れがあるのかもしれない。「隠者」と反対の意味を持つカードには、例えば「恋人」や「世界」があるが、そうした「関係性」への欲望があなたの邪魔をしているのかもしれない。さしあたっての課題は、そうした自身の欲望との戦いになるだろう。


    第二に、内的に集中し、探求するには、心を静める必要があるが、心の乱れがあなたの邪魔をしているのかもしれない。「力」のカードの解説でも述べたように、あなたが導きを受けるべき信頼できる教師を探すことが課題かもしれない。


    第三に、内省・熟考には、文字通り知的な活動が必要であり、そして最終的には身体感覚のレベルで真理に到達する必要があるのだが、なんらかの不快な身体感覚に邪魔をされているのかもしれない。例えばストレスによって、不眠、倦怠感、頭痛、腰痛、肩こりなどに悩まされているのであれば、自律神経のバランスを整える必要がある。したがって、目下の課題は健康を取り戻すということになるのだが、これはなにも、あらゆる病気から回復しなければならないということを意味しているのではない。もしあなたがガンを患っているなら、回復を待つなど気の遠くなる話だと思うかもしれないが、そうした病気のもたらす不快な身体感覚を「飼いならす」言いかえれば「共生しつつ生活の質を高める」必要があるということだ。感覚のレベルでは、依然として不快かもしれないが、それでもなお、あなたの人生が喜びと輝きに満ちているということは、矛盾してはいない。





    【参考文献】



    今日の詩篇

    犀の角

    35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況〔いわん〕や朋友をや。犀〔さい〕の角のようにただ独り歩め。

    36 交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍〔わざわ〕いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

    37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

    38 子や妻に対する愛著〔あいじゃく〕は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍〔たけのこ〕が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

    39 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

    40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

    41 仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。


    (『スッタニパータ』「蛇の章」より部分引用。中村元訳)





    なぞかけエクササイズ


    「お題」をランダムに決め、ととのえる練習。


    今日のお題(Yahoo検索 急上昇ワード デイリーよりキーワードをランダムに選出)

    • とんねるず
    • 浮島現象
    • ミヤコタナゴ
    • 菊川怜
    • バレンティン







    ととのいました。

    「とんねるずとかけまして、スポンサーと解きます。その心は、どちらも帝京(提供)でしょう」




    ととのいました。

    「浮島現象とかけまして、ドラえもんと解きます。その心は、どちらも浮いているでしょう」




    ととのいました。

    「ミヤコタナゴとかけまして、VHSと解きます。その心は、どちらも絶滅危惧種でしょう」




    ととのいました。

    「菊川怜とかけまして、玄奘三蔵と解きます。その心は、どちらも東大(唐代)のひとでしょう」




    ととのいました。

    「バレンティンとかけまして、かぐや姫と解きます。その心は、どちらもツバメを困惑させるでしょう(燕の子安貝)」



    ちょっと気になることエクササイズ


    「ちょっと気になることはなんですか」と聞かれても、まったく思い浮かばないため、気になることを探すエクササイズ。


    寛容は不寛容に対して寛容であるべきでしょうか。

    私は人生の基本的なモットーとして、「寛容であること」を大切にしています。

    どんな不道徳なことでも、どんな掟破りなことでも、私は眉をひそめたりしません。

    むしろもっとやれ、と思います。

    その意味で、あらゆる逸脱行為に対して、私は寛容であると思います。

    寛容であることは、良いことだと思っています。

    みんなが寛容になれば、世の中ギスギスしなくなり、ルールに縛られてイノベーションが生まれないという問題もなくなると思います。

    ですが、不寛容な人や団体、規則やルール、慣習や法などがあります。

    人種差別をする人々や、性差別をしている社会の慣習などがあります。

    日本の法律でいうと、民法の俗にいう家族法なども、差別的だと思います。

    こういう不寛容さえも、寛容の立場は、受け入れなければならないのでしょうか?

    ソクラテスは「悪法もまた法なり」といって毒杯をあおいだとされています。

    しかしその論法で行くと、不寛容によって寛容が駆逐されてしまうのではないかと恐れます。

    わかりやすくまとめると、寛容は不寛容に対して、寛容が良いのだから、不寛容は間違っている、と批判したとたん、その寛容はたちまち不寛容になってしまうのではないかと、悩んでいるのです。





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