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    家族療法のソリューション・オリエンテッド(1)

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    家族療法のソリューション・オリエンテッド(1)

    たまには、ぼくがどういう仕事をしているのかを、ブログ読者にも知ってもらいたい。

    それはもちろん「心理カウンセラー」ということになるのだけど、カウンセラー、つまりカウンセリングをする人にも多くの種類があり、様々なカウンセリングの立場のなかでも、ぼくはどういう立場でやっているのか、ということを、少しずつ紹介したい。

    できれば、自分は、あるいは家族は、カウンセリングを必要としているのかどうか、よくわからないけれど、悩みや困り事はある、という方にとっての、ちょっとしたヒント、つまり解決策を提供するようなものにしたい。


    というわけで、今日は、ぼくのカウンセリング上の立場である「ブリーフセラピー(短期療法)」にもとづく事例を取り上げたい。

    以下は、長谷川啓三氏の『ソリューション・バンク』で紹介されていた事例である。


    事例1 いじめていない人に丸をつけて


    女子生徒が「みんなが私を無視する」と訴える。そこで、ブリーフセラピーを学んでいるA教諭は、彼女を落ち着かせた後に、彼女のクラスの名簿と赤鉛筆を用意して、「あなたをいじめていない友だちに丸をつけよう」と伝えた。印をつけ始めると、多くは彼女をいじめていないことがわかってきたのか、自分で教室へ戻っていった。



    事例2 閉じこもり気味で、昼夜逆転の生活を変えられない不登校の高一男子


    無力感にとらわれた母親が話しかけても、イライラした表情で無視するだけだった。小さなころのすてきな笑顔を思い出した母親は、無視されようと笑顔で少しだけ冗談ぽく話しかけるようこころがけた。いつしか息子の表情も和らぎ、笑顔でこたえるようになった。やがて昼夜逆転と閉じこもりも改善していった。



    事例3 親に反抗して半年以上口をきかず、最低限のことを身ぶり手ぶり、筆談で伝えるA君


    お母さんも一緒に身ぶり手ぶりで話し出すと、今までの険悪なムードが一変し、堰を切ったように話し始めた。


    どうも、長谷川啓三(東北大大学院教授)という人は、極端に省略した書き方をする人で、伝わりやすさという点ではいまいち、というところがあると思うのですが、ここにあげた事例には、「ブリーフセラピー」の根本原理のうちの重要なひとつが含まれています。

    それは「例外の拡張」という原理です。

    例外とは、「問題が起きていない状況」「問題が軽度のとき」「一時的にであれ解決している瞬間」のこと。

    この例外を発見し、拡張していくことを、カウンセラーは「介入課題」としてクライアントに課します。

    その意味で、ブリーフセラピーは「何ではないか」という点についていえば、

    • ロジャーズ派のような非指示的な立場ではない

    ということになります。指示的(directive)というほど直接的ではないにせよ、「これをやってみてください」と、どんどん「介入」します。

    ビル・オハンロンの言葉でいえば「非指示的(間接的)指示(indirective directive)」というパラドキシカルなやり方です。


    「事例1」では、A教諭がやったことといえば、生徒を受容的に迎え(その意味では、ロジャーズのいう「カウンセラーの基本的態度」は当然ながら重要なのです)、赤鉛筆と名簿をわたして、作業させた、というだけです。

    「いじめ」にかぎらず、心理的な問題や人間関係の問題に直面すると、じゅうらいならば「問題の原因」を探っていき、「原因を取り除く」という手段に訴えがちです。

    これは人間の心理傾向にとってしかたのないことなのですが、因果性で人の心理や人間関係、社会現象を捉え、「良かれと思って」策を施しても、ほとんどの場合、「余計に悪く」なります。これは臨床的な心理学においてのみならず、社会学でも常識です。

    イギリスの哲学者デヴィッド・ヒュームという人は、〈時点t1〉で生じたできごとxに引き続いて、〈時点t2〉であるできごとyが生じる場合、人は「因果」というカテゴリーでそれを把握する(xはyの原因である)、しかしそれは「習慣」にすぎない、と言いました。

    これを受けて、あの有名な哲学者カントは、「因果はアプリオリなカテゴリーである」と言いました。「アプリオリ」とは、先験的、つまり経験に先立つという意味です。

    「事例1」でA教諭がやったように、ブリーフセラピーは、

    • 原因を探さない
    • 犯人探しをしない

    という「~ではない」特徴を持っています。


    「事例1」では、「いじめていない人もいる(じっさいには、いじめていない人のほうが圧倒的多数だった)」という、「例外の発見」を、女子生徒に促すことが「解決」につながりました。

    このように、「問題」を志向せずに、「解決」を志向するため、ブリーフセラピーはしばしば「ソリューション・フォーカスト(solution focused)」とよばれることがあります。

    とはいえ、ブリーフセラピーとソリューション・フォーカストを同一視されるのは困るのですが。

    ソリューション・フォーカスト(解決志向)は、ブリーフセラピーの一手法にすぎません。もちろん、もっともうまくいっているブリーフセラピーであるのは確かなのですが。


    ちょっと予防線をはっておきます。これを読んでいる方にとっては、面倒で、どうでもいいことだとは思いますが。

    ぼくはソリューション・フォーカストを提唱したスティーヴ・ド・シェイザーに大きな影響を受けています。彼の書いた"Keys to Solution"という著作が、ぼくにとって最大のバイブルであることには、変わりありません。

    ですが、"Keys to Solution"でド・シェイザーが述べていたことに忠実に従うならば、「解決」を「志向(focus)」してはならない、というのがぼくの立場です。ド・シェイザーがかつて述べていたことは、「何ものをも志向してはならない」ということです。ある一点を志向してしまうことは、その他の可能性を奪ってしまうからです。「選択肢を狭める」ことは、多くの場合有用ですが(社会学的には、選択肢の縮減がシステムのコスト負担免除になります)、心理療法にとっては、奪われた可能性の方に「ベターな解法」があることがしばしばあるということに注意すべきだと思います。

    ぼくは「解決」とは「志向(focus)」するものではなく、「指向(orient)」するものだ、という立場です。

    「解決志向」を唱え始めた彼らのやっていることに批判的だということではありません。

    彼らがやっていたこともまた、「解決志向」を唱えながら、じつは「解決指向」だった、というのがぼくの解釈です。


    解決指向(solution oriented)という言い方は、ぼくのオリジナルの造語ではありません。

    「可能性療法」のビル・オハンロンの著作タイトルでも使われましたし(邦訳では「解決志向」と訳されてしまいましたが)、フォーカシングを短期療法に応用したバラ・ジェイソンも「ソリューション・オリエンテッド・フォーカシング・セラピー(SOFT)」を提唱しています。



    余談でした。

    「事例2」を見ましょう。

    ここでの「例外」は、子ども時代に見せていた笑顔です。

    ぼくの考えでは、この事例をここ(『ソリューション・バンク』の第1章の冒頭)に持ってくるのはいかがなものか、と思うのですが、というのは、ここで生じていることはただ「例外の拡張」だけではないからで、もう少し複雑なプロセスが含まれていると考えられるからです。

    たぶん、不登校の高校男子のほとんどが、子どもの頃に笑顔を見せていたでしょう。

    そして、多くの親が、「笑顔で話しかける」というアプローチを試みて、ダメだった、という経験をしていることでしょう。

    その意味では、「例外の拡張」という「ソリューション・フォーカストの根本原理」の事例としてあげるには、あまり適切だとは思いません。

    この事例の親子の文脈に限っていえば、「子ども時代の笑顔」が「例外」として機能した、ということになり、おそらく「それが機能する」ことを発見できたのは、この親子の文脈を生きる、この母親だったからでしょう(あるいはこれは長谷川氏が丁寧に面談した事例なのかもしれません。その場合、「丁寧に面談する」ことが重要だということになります)。


    「事例3」。

    これは一見、「例外」がなんなのか、わからないかもしれませんが、この場合は「笑いによる緊張の弛緩」ということになるでしょう。

    長谷川氏はコミュニケーションを〈言語-非言語〉という軸と、〈トピック-マネジメント〉という軸で説明し、ここで行われている「介入」は「非言語でかつマネジメント」にかかわる、と言っているのですが、この説明も、ぼくが見ると、長谷川氏の説明に合う事例を持ってきただけに見えます。

    ぼくの立場からいうなら、「事例3」では、「相手のコミュニケーションに合わせて、笑いが生じるように仕掛けた」ということしかやっていません。

    「非言語」であることも、「マネジメント」であることも、ここでは重要ではなく、「悪循環が切断され、例外が生じた」という事実だけが重要です。


    いま、「悪循環の切断」というタームが出てきました。

    これもブリーフセラピーの重要な原理なのですが、これについてはまた今度。




    今日の詩篇

    偶像  尻の穴のソネ  ランボー

    紫色のカーネーションのようにか黒く襞をよせて
    それは息づいている 白い尻の甘美な消失の流れにそって
    その折り返された縁の中心部にいたるまで生い茂っている
    まだ愛欲に濡れそぼった苔のあいだにつつましく身を潜めて

    ミルクの涙にも似た幾筋もの細い糸が
    それらをはね返すつれない屁の風に吹かれ泣きながら
    赤褐色の泥灰岩の細かい粒塊のあいだを縫って
    下り坂の呼ぶ方に向かって消えて行った

    ぼくの夢はしばしばその吸盤にからみついた
    ぼくの魂は物質的な交合に焦がれて
    それを鹿毛色の眼の窪みとも またすすり泣きの巣とも成したのだ

    それは酔い痴れたオリーブの実 甘ったるいフルート
    天上のアーモンド入り砂糖菓子が降りてくる管
    湿原に閉ざされた女性のカナーンの地だ

    アルベール・メラ

    P・V、A・R


    (宇佐美斉訳)

    L'Idole
    Sonnet du Trou du Cul

    Obscur et froncé comme un œillet violet
    Il respire, humblement tapi parmi la mousse
    Humide encor d'amour qui suit la fuite douce
    Des Fesses blanches jusqu'au cœur de son ourlet.

    Des filaments pareils à des larmes de lait
    Ont pleuré, sous le vent cruel qui les repousse,
    À travers de petits caillots de marne rousse
    Pour s'aller perdre où la pente les appelait.

    Mon Rêve s'aboucha souvent à sa ventouse ;
    Mon âme, du coït matériel jalouse,
    En fit son larmier fauve et son nid de sanglots.

    C'est l'olive pâmée, et la flûte câline ;
    C'est le tube où descend la céleste praline :
    Chanaan féminin dans les moiteurs enclos !

    Albert Mérat

    P.V - A.R.



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