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    日々の断想

    ダイエット

    283日目。

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    断想

    ザ・ソプラノズ・セカンド・シーズン#9、視聴。クリスが前回銃撃にあって、入院中のはなし。

    クリスは1分間心臓停止するが、蘇生がうまくいって一命を取りとめる。生還後、クリスが地獄で父親に会ったエピソードをトニーたちに語って聴かせるのだが、そのメッセージがいろいろと事件を引き起こす。

    ザ・ソプラノズ・セカンド・シーズン#10、視聴。トニーが逮捕の危機を乗り切る。カーメラのほのかな恋心。父と娘と息子。賭博で一文無しになったデヴィッド。これらが複雑に絡み合う。

    ここまでがDISC 3。





    今日のask.fmは「恋愛関係で一番避けたいものはなんですか?」

    ask.fmには字数制限があるらしく、下書きで書いたものの後半が書き込めなかったのでここに全文転載しておく。



    「恋愛関係で一番避けたいものはなんですか?」

    「交叉的交流と裏面的交流」

    「交叉的交流」も「裏面的交流」も交流分析(Transactional Analysis;TA)の用語です。交流分析は、主に人間関係から生じる問題を解決するために用いられる古典的心理療法です。


    交流分析と一言で言っても、道具立てはたくさんあるのですが、そのなかでも「対話分析」においては、「自我状態」という、ちょっとやっかいな概念を使います。

    「ちょっとやっかい」というのは、ひとつには「単純すぎ」て使いづらいからで、もうひとつには「複雑すぎ」てやはり使いづらいからです。

    ツールが単純すぎることで、扱う事態が複雑になりすぎることを、システム理論では「複雑性の縮減による複雑性の増大」といいます。

    私はシステム理論にのっとった心理療法を行っているので、(TAによってレディメイドされた)自我状態という概念を臨床的に持ち込むのは「非常にやりにくい」と感じています。


    それはともかく、具体例をみなければ、何を言っているのかわかりませんね。

    (TAによってレディメイドされた)自我状態には、P(親)A(成人)C(子ども)の3種類があります。

    さすがに3種類では単純すぎるという場合は、Pを「批判的な親」「援助的な親」のふたつに、Cを「自由な子ども」「順応な子ども」のふたつに分けます。


    冒頭で「交叉的交流」と「裏面的交流」を避けたい、と述べましたが、避けるべきでないスムーズな交流からみましょう。

    (例1)

    A:「アイス食べたい!食べよ!」(CからCへの交流)

    B:「いいね!私はシェイクにするよ!」(CからCへの交流)

    (例2)

    A:「部屋は片付いているの?」(PからCへの交流)

    B:「わかってるよ!いまやるって!」(CからPへの交流)


    これらのように、メッセージの発信地と到着地が、意図されたものと同じ自我状態である場合、対話はスムーズです。

    これを「相補的交流」といいます。

    一般に、「同じ自我状態での交流が相補的」と言われますが、例2のように、発信地=Aが意図した到着地=Bの自我状態が、発信地のものと異なっていても(「AはP、BはC」とAは意図している)、応答する側=Bが、AがBに対して想定した自我状態を読み取り、さらにAの自我状態を読み取った返答をしていれば(「AはP、BはC」とBも意図している)、相補的なものとなります。

    この時点でややこしいと思うのですが……。


    つぎに、問題となる「交叉的交流」をみましょう。

    (例3)

    A:「報告書をまとめてもらえますか?」(AからAへの交流)

    B:「わかってるよ!いまやるから!」(CからPへの交流)

    (例4)

    A:「何時に帰ってくるの?」(AからAへの交流)

    B:「何時に帰ってこようともあなたに文句を言われる筋合いはないわ!」(CからPへの交流)


    ここで、例3も例4も、「行き違い」「ちぐはぐな」交流をしていることが読み取れますが、いずれもBは怒っています。

    怒っている場合のみ交叉的になるわけではありませんが、近年の非常に簡略化された交流分析のテキストでは、「怒っている時の自我状態はP」と断定するものが多いので、ここで例にしました。

    簡略バージョンでは「これはどの自我状態だろう」と悩む必要がないという点で便利ですが、「腑に落ちない」という欠点があります。

    例4などは、典型的に「親から監視されている・束縛されているような感じを持ってしまったBの自我状態」は子どものものだと言えます。


    もうひとつ「交叉的交流」の例をあげます。

    (例5)

    A:「昨日のM-1見た―?あの緑のシャツ着たほうがさあ、すげーおもしろかったよな」(CからCへの交流)

    B:「いや、彼が着ていたのは青のシャツだったよ」(AからAへの交流)


    これは典型的なアスペルガー的コミュニケーションですが、この場合、2次元で表そうとすると、「交叉」していないように見えます(たんに「行き違っている」ように見えます)。

    これも対話分析の難しいところ、と私は考えているのですが、2次元上で交叉(ないし交錯)していなくとも、行き違っていれば「交叉」になります。


    つぎに「裏面的交流」をみましょう。

    (例6)

    A:「遅れるなら連絡すべきではないでしょうか」(AからAへの交流)

    B:「ごもっとも。あなたの言うとおりです」(AからAへの交流)


    これが「裏面的」というのは、Bは内心「連絡できないことだってあるだろう…」と不満を持っているからです。

    これを「明白なレベル」と「心理的なレベル」と区別するのが交流分析(の対話分析)の特徴です。

    一般に、この裏面的交流が非常に厄介なもので、主にA同士の交流によくみられる、と言われています。


    この裏面的交流に至って、私は非常に難解なものを感じるのですが、というのは、Aのセリフは、明白なレベルでは冷静な判断を述べているだけに見えますが、「遅れるなら連絡しろよ!」と怒っている心理的レベルが想定されます(この場合はPからC)。


    もうひとつの裏面的交流。

    (例7)

    A:「ボウリング行かない?」(AからAへの交流)

    B:「行く。ちょうどボウリングしたかったところなのよ」(AからAへの交流)


    これは、明白なレベルではA→Aなのですが、心理的レベルではC→Cです。つまり、Aはデートに誘っているわけで、Bはデートに誘われて嬉しい、と表現しているわけです。

    こうしたやりとりは日常的に頻繁に行われており、微笑ましくもあるのですが、恋人同士のような情緒的関係では、「必ず裏にCがある」と想定しがちで、これが泥沼化していくきっかけになります。

    あるいは俗に「心理戦」などというように、企業の同じ組織内で働きながら、チームであることから表立った攻撃や批判、足の引っ張り合いはできないけれども、裏面的にネガティブなメッセージを持っていたりすると、とても気持ちの悪い交流になります。

    こうした交流を「邪悪なゲーム」と呼ぶ人もいますが、「ゲーム」という概念は、交流分析ではまた重要な意味を持っているので、安易に使うことはできないと私は考えています。


    裏面的交流の失敗例をみましょう。

    (例8)

    A:「ボウリング行かない?」(明白レベル=AからA:心理レベル=CからC)

    B:「ボウリングが好きなのね。私はあまり好きじゃないから行かない」(AからAへの交流)


    これも典型的なアスペルガー的交流ですが、そう言えるのは、BはAに好感を持っていることが前提です。

    つまりアスペルガー患者には、「うーん、ボウリングあまり得意じゃないから…カラオケでもどう?」と返すのがベターだ、と指導することになるのですが、そもそもAの交流が「好意の伝達」だということに気づくことが難しいので、こうした指導も難しいものになります。

    また、これをアスペルガー患者でない、ストレートな男女間の会話だとすると、Bはやはり心理的レベルに「あなたには好感を抱いていない。デートはお断り」というメッセージがあり、これは「成功した裏面的交流」と言えます。


    ここまでで、恋愛関係・情緒的な関係を持続的なものにするために、「交叉的交流」と「裏面的交流」を避けるべきだということははっきりしましたが、もう少し交流分析の対話分析の「困難」を見てみましょう。


    (例9)

    A:「隣の奥さんが、あんたが浮気してるんじゃないかって」

    B:「あんたってなんだよ。お前はいつも言葉遣いが悪いんだ」


    素朴に、Aが「A→A」の交流、Bが「P→C」の交流、という交叉的交流だと捉えることもできます。

    しかしこの捉え方が非常に「野暮」だということに、だれでも気づきます。

    Bの返答は、「話をそらそうとしている」意図がミエミエです。

    つまり心理的レベルに「C→P」とでもいうべき裏面があるように見えます(このときのPは寛容な親ですね)。

    このとき、Bは、Aのセリフをたんなる「報告」と受け取らずに、「浮気の疑惑を責める」行為遂行文として受け取っています(つまり明白なレベルではA→Aだが心理的レベルでP→C)。

    対話分析的には、その意味で、これを裏面的交流と捉えることも可能です。


    しかし、Aのセリフがそのような文である、と決定することは可能でしょうか?

    本当に責めているのだとしたら、「ちょっと!あんたが浮気してるって聞いたけど、ホントなの!」とでも言えばよいのではないでしょうか。なぜ伝聞型を使って「遠回しに」聞いているのでしょうか。

    Aのセリフは、一見(明白なレベルでは)「報告文」に見えます。

    したがって、Bは「へえ。なんでそう思ったんだろう」とA→Aで返すのがスムーズです。しかしそうはしなかった。責められていると感じたから。


    システム理論の教訓は、Aの言明は、いかようにでも解釈できるが、それはすべての解釈を一義的に(つまり多義的に)解釈し尽くすことが可能であることを意味せず、たんに「決定不能である」ことだけを意味する、というものです。

    意味を決定できないメッセージを投げかけられたら、無限の深淵のもとに立ちすくんでしまうでしょうか。

    つい、そう考えがちなのですが、我々はそうしていませんね。

    じっさいBは即座に「責め」を感じ取り、決定し、話題をそらすという行為遂行文を発しています。

    我々は、常に決定不能なものに直面しつつ、そこで立ちすくまずに、暫定的にであれ決定し、応答し続けます。


    交流分析を使うにせよ、システム理論を使うにせよ(例9はブリーフセラピーのテキストからの引用です)、「やっかいな」交流は葛藤をもたらす、ないし、やっかいな交流は葛藤状況において生じる、と言うことができます。

    恋人同士など、「言葉じゃない部分については(心理的レベルは)察してよね」というちょっとした依存関係は、親密さの証と考えられがちですが、非常に危険なので、やめておくのが無難かと思います。


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