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    アナライズ・ユー:セルフヘルプの去勢不安

    『アナライズ・ユー』(原題"Analyze That")はハロルド・ライミス監督脚本による『アナライズ・ミー』(原題"Analyze This")の続編。

    前作について以前このブログで書いた時に、ぼくは「ラカン派はこの事態を喜べばよかろうなのだ」などと書いて、ラカンをシニカルに見ていたことに今気づいた。

    『アナライズ・ミー』は「プロザック」という特権的シニフィアン(ぼくはこれを「ファルス」と書いたのだが、「対象a」の間違いだろう。いかにいいかげんにダラダラと書いていたのかが分かる。まあ、通常「特権的シニフィアン」といえば「ファルス」のことなんだけど、プロザックはファルスなんかじゃないし、せいぜい欲望の原因たる小文字の他者、といったところのものだろう。1990年代のアメリカでは、貨幣に代わってプロザックがみんなの欲望の原因になった。目的じゃなくね。だからプロザックは、特権的シニフィアンではなくてイマージュだ)によって縫合されたアメリカ社会そのものをコメディとして描いたものだ、というのがぼくの論調だったが、これはむしろ「コメディにしかなりえない」といったほうが良いかもしれない。反復なのだから。

    「作品自体の精神分析を行う対象としては興味をひかれる作品ではない」とも書いたが、それをドラマ『ザ・ソプラノズ』との対比で捉えていた。これは『ザ・ソプラノズ』セカンドシーズン内での『アナライズ・ミー』への言及によっても確証されたが(このブログでは『アナライズ・ミー』をデ・ニーロの去勢不安として見るエントリの翌日に触れている)、かろうじて、DVD特典にあった「NG集」に注目することで、デ・ニーロの精神分析が可能になった。

    ハリウッドが凋落して(凋落が囁かれて)久しい。ビッグバジェットで、アメリカの精神をリアリズムに忠実な態度で描くことができるメディアはケーブルテレビのテレビドラマだけになってしまった。『ザ・ソプラノズ』がアメリカドラマ史上最も成功したのも、ハリウッドの凋落に起因している。ハリウッドの凋落は、言うまでもなくアメリカの去勢不安のひとつの表現だし、エディプスコンプレックスの反復だ。『ザ・ソプラノズ』が複雑になればなるほど(ぼくの言い方では「精神分析を行うに値する対象」)、ハリウッドは精神分析的価値を落としていく。経営的にも逼迫する。

    やっと『アナライズ・ユー』の話になるが、これはもう徹底的に「コメディとして作られて」いる。『アナライズ・ミー』が不可避的にコメディにならざるを得なかった(反復だから)のとは対照的であるようにみえる。しかしむしろ、『アナライズ・ユー』こそが、精神分析的症候の一例なのだ。どういうことか。

    またしても「DVDの付録」に言及することになるが、メイキング映像において監督ハロルド・ライミスは「悩みなんて笑い飛ばせ」と言っている。ライミスについて、デ・ニーロはやはりメイキング映像の中で「コメディの天才」と言っている。「天才」とは、デ・ニーロが友人の分析家に投げかける、お決まりの賞賛の言葉だ(giftedと言っている)。

    これは言うまでもなく「笑えば、幸せになれる」式の、お気楽セルフヘルプの常套句でしかない。この続編は、前作を見ていれば確かに笑える気楽なコメディだが、興行的には成功しなかっただろう(第一作の3分の1、ということはそこそこ「売れた」のだが、制作費は第一作の倍かかっている)。「前作を見ていれば確実に笑える」というのに、そこまで差がついたのは、やはり第一作には「なにがしかの複雑さ」があったからであろうと思う。欠如している複雑さを、この第二作は、徹底して「笑い」で埋めようとする。

    「笑えば幸福を引き寄せられる」「笑顔を忘れなければ、人生も人との関係もうまくいく」といったセルフヘルプ産業はいまでも衰えるところを知らないが、それに「裏切られる」体験の量産も衰えることを知らない。フロイトの否認によって成り立つ近年の心理療法(CBTとか、アサーショントレーニングとか――ぼくも使うけど)が、「問題は解決した、それはよかろう。では、この私の大切な原因は、どこへ消えてしまったのか?」という負債の感覚をもたらすだけだということは、忘れられてはならない。ラカン的否定神学を批判するデリダが注目した郵便的誤配もこの負債感覚へ向けられた倫理的眼差しであるし、フロイト-ラカンの精神分析が決して「治癒」を目指したものなんかではないということ自体も倫理的問題に根ざしたものだし(症状はすでにそれがなんらかの問題解決なのだから、それを消すことは、もっと過酷な不幸=現実に向き合わなければならない覚悟を患者に要請する)、「エビデンスベイスド」を標ぼうする近年の「いまだに20世紀しちゃってる」心理学や医学に対しては、もっとまじめにやればいいのに、と思ってしまう。

    こうした倫理的感覚を一切無視して、「それでも笑おう」という立場を強調したいのであれば、それはそれでかまわないし、やれば良いと思う。

    しかしそれは、視聴者から見てたんなる「去勢不安」「否認」にすぎないし、さらなる倫理(セルフヘルプへの裏切られ感)を量産するだけだし、なにより興行成績が悪くなるだけだろうと思う。

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