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    断想

    これまで、ミルトン・エリクソン(20世紀最大の心理療法家)への関心から、NLPの書物をいくつか読んでみたことがあったが、いずれも自己啓発的色彩の濃い(ということはつまり、持続性がない、短期効果の動機づけにしかつながらない)ものばかりで、職業上「使える」と思えるものがなかった。

    (もちろん「片手間」に、不真面目に読んでいたからなのだが)

    ぼくが職業的に行っていることはブリーフセラピー(短期療法)であり、これはスティーヴ・ド・シェイザーというブリーフセラピーのドンによって「システム化されたエリクソン」とでも言うべきものだ。

    NLPとは異なり、臨床的に真剣に考察されており、臨床系の学術雑誌に研究論文が掲載されるタイプの心理療法である。

    ぼくが職業上もっとも尊敬しているのがド・シェイザーで、ある意味「ド・シェイザー原理主義」とでも言うべき方法が、ぼくが行っている心理療法(ぼくはそれをアジャイル療法と名づけているのだが)だといえる。

    ド・シェイザーはエリクソンを「システム化した」と言ったが、これはまず単純に、「エリクソンのやっていたことをシステム理論の系譜に位置づけ、システムズ・アプローチの一手法としてブリーフセラピーをまとめあげた」という意味であるが、第二義的には、「誰にでも身につけられるようなものではない、器用仕事〔ブリコラージュ〕としか言い様がないエリクソン的方法を、誰にでも使えるものとして体系化〔システム化〕した」という意味でもある。

    一方、NLPは、ご存知の通り、「真面目な」心理学というよりは、プラグマティックに「使える技術」を集めたものといったものであり、学術雑誌で検討対象とされているようなものではない。「NLPの社会学」とか「NLPの文化人類学」とかの研究はありうるが、「対人関係のNLP」とか「認知科学のNLP」とかはありえない(言葉使いとして、おかしな事になる。NLPは説明体系でも仮説でもなく、方法論だから、「NLPによる対人関係の改善」といった言葉使いしかありえない)。

    NLPが心理学の教科書に載るようなことはない。というかむしろ、心理学の教科書を裁断し、プラグマティックであることを「知覚位置」として配列しなおしたのがNLPである(「知覚位置」とはNLP用語である)。

    NLPはミルトン・エリクソンから「エリクソンモデル」を、サティアとパールズから「メタモデル」を抽出して構築されたところからスタートした。

    その方法は、エリクソン・サティア・パールズといった20世紀を代表する療法家の言語分析である。

    ブリーフセラピーがエリクソンをシステム化したとするなら、NLPはエリクソンをレジュメ化した。

    このようなわけで、NLPは、療法家にとって「使いにくい」と感じさせるものであることは否めない。

    クライアントへセラピーというサービスを提供するために、療法家はシステム化されたブリーフセラピーの手法を学んでいる必要があるのはもちろんだが、クライアントにもブリーフセラピー的観点を学んでもらう必要がある。

    一般に、セラピーを受けることへのモチベーションが低いクライアントに向いているとされるのがブリーフセラピーだが、結局のところそれは、モチベーションの低さを「力(能力)」として利用し(ユーティライズし)、ブリーフセラピーというシステムへ「巻き込む」手法だといえる。結果的には、クライアントはブリーフセラピーを自ら学んでしまう。

    NLPは、モチベーションが高くなければ、学ぶことができない(自己実現したい、などの欲求が高くなければならない)。

    おそらく認知行動療法のような心理教育的側面の高い手法と比べても、格段に「お勉強」の要素が多い。

    したがって、セラピーに訪れたクライアントに「NLPを学ぶことであなたの問題を解決しましょう」とは提案できない。

    これが「システム化」と「レジュメ化」の違いである。

    ただし、はじめに述べたように、ぼくの関心はエリクソンにある。もちろんサティアやパールズにも高い関心を持っている。近年のNLPは、「うまくいっている療法家をモデリング」することで、その領域を拡大している。レジュメ化なので、お勉強のためのテキストもどんどん分厚くなる。

    こうしたNLPの仕事を、サービス提供業者としての心理療法家として、プラグマティックに利用できないか、と不埒な下心を持つのは健全なことだと思う。

    前置きが長くなったが、このような動機でNLPを知ろうとするうえで、前田忠志『NLPの教科書』(実務教育出版)は、とても役に立つ。

    『教科書』と銘うってはいるものの、NLPの全領域はカバーしていない。そんなものは膨大すぎて、書籍というメディアには向かない。

    「NLPの前提」「対人関係」「対自関係」「目標実現」の四部構成からなる(そういうタイトルではないが)。ここで「対自関係」としたのは、NLPの基本はコミュニケーションであり、自己の問題に向きあったり自己を変革したりするのは自分とのコミュニケーションだ、とされるからだ。つまり「対人関係」では他者とのコミュニケーション・スキルが記述され、「対自関係」では自己とのコミュニケーション・スキルが記述される。

    セラピーではNLPは使いにくい、と述べたが、このテキストはわかりやすく容易に読めるため、クライアントに薦められなくはない。

    このテキストを骨組みとして利用し、療法家が肉付けをした、クライアント版(オーダーメイドの)テキストとでも言うべきものを作成し、教育的に利用することも可能だと思う。

    そこが「レジュメ化」のメリットだ。

    しかし、システム化されていないため、クライアントに別の問題が生じた時に、また(NLPの知識を持つ)カウンセラーの助けが必要になる、という悪循環(心理カウンセリングにとって、そうした事態は最悪の事態とされる)が懸念される。

    これが「レジュメ化」のデメリットだ。

    こうした循環を利用して「セミナー商法」を行ってきたのがNLPなのだとも言えるが、臨床的にこみいった問題を抱えていない――つまり、どう生きるべきかといった実存的な悩みを抱えているのでもなく、たえず他者依存的に生活してきたのでもない、ということだが――クライアントの、個別の「ちょっとした問題」を解決するために、有用な利用の仕方があるだろうという、アイディアを刺激するものであることは間違いないだろうと思う。

    たとえば、たえず他者からの承認を求めているクライアントの生活の質を向上させる(自分らしく生きられるようになってもらう)ためには、自分で洞察を得て、そこから自分で学び取ってもらい、成長してもらう必要があるのだが(こうした言い方はロジャーズ的だが)、副次的に何らかの恐怖症や不安が生じている場合、NLPでそうした副次的なものを手っ取り早く取り除く、というのが、セラピーの進行を促進するだろうと予想できる。



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