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    アナライズ・ミー:デ・ニーロの去勢不安

    1999年公開の映画で、イタリアン・マフィアのボスが精神分析を受けるという、先日言及した「ザ・ソプラノズ」との類似点が極めて多いことに誰でも気がつくだろう。

    RICO法(日本でいう暴対法)施行後のアメリカにおける「複雑な現代社会」を生きるマフィア、という現状規定も同じだし、〈アメリカのシニフィアン〉であるプロザックも重要な登場人物である(「アナライズ・ミー」では分析医の父親が歌う歌の歌詞においてのみだが)。

    この一致は、法システム(RICO法)と医療システム(セラピー化社会)の構造的カップリングがもたらした果実と見ることができ、社会学的な必然性を持っている。

    しかし一方、〈プロザックというファルス〉(特権的シニフィアン)でその綻びを縫合された象徴界、つまりシニフィアンに覆われたアメリカ社会という、ラカン的な形式化が馬鹿馬鹿しいほどにピタリと当てはまってしまい、精神分析学的な必然性を持っているともいえる。ラカン派はこの事態を喜べばよかろうなのだ。


    2つの作品を比べるならば、どうしても、「アナライズ・ミー」は100分程度の単発コメディ映画、「ザ・ソプラノズ」は1エピソードに2億円もの制作費をかけた連続ドラマ、という条件の違いがあり、「ザ・ソプラノズ」の複雑性のほうが大きい。

    分析医の分析内容も、「アナライズ・ミー」は古典的でカリカチュアライズされたフロイト理論によるトラウマ分析と(アンナ・Oの言う)談話療法に終始し、とりわけ面白いものではない。

    「アナライズ・ミー」は、作品自体の精神分析を行う対象としては興味をひかれる作品ではない。


    精神分析的興味を備えているのは、「アナライズ・ミー」のDVDに「付録」として所収されている「NG集gag reel」である。

    デ・ニーロは頻繁に、同じセリフを2回繰り返したり、言い間違いをしたり、アドリブと思われる珍妙な語彙を生み出し、相手役のビリー・クリスタル(分析医役)を笑わせる。デ・ニーロ本人も笑いが止まらなくなり、NGを繰り返す。

    フロイトに忠実であるなら、このNG集こそが分析対象である資格を持っていると言うべきだろう。


    デ・ニーロのNGの中で注目すべきフロイディアン・スリップが、自分の「不能」を相談するシーンだ。

    このシーンで、彼は数えきれないNGを連発している。

    それほど難しくない、デ・ニーロほどの役者であれば難なくこなせそうな台詞の言い回しに、取り憑かれている。

    愛人とのセックス中に突然「立たなく」なったポール(デ・ニーロ)は、「2週間以内にオスに戻らなければ、弱いオスの匂いをアニマル(動物)たちに嗅ぎつけられる」という。

    ここで出てくる「動物」とは、インテリである分析医と違う、俺達マフィア=男の世界に生きる者たち、という意味だ。

    「不能」であることは、動物たちにとって「弱いオス」であることを意味し、それは匂いでわかってしまう、という比喩にとんだ、しかし彼らにとってはリアリティそのものとしか言いようのない切羽詰まった問題とされる。

    「分かるか? おれも おれの人生も おれも」と言い間違える。この二重性は言うまでもなく、ポールとデ・ニーロ本人という二重性に他ならない。

    「弱いオス」とは「今のオレだ」と言うと、分析医は「You ?」と返して笑いをとる。

    「2週間で男に戻らないと 2週間で男に戻らないと」と繰り返すと、分析医は「君は 2回も同じセリフを」と返して、やはり笑いをとる。


    デ・ニーロは子沢山としても有名だ。2011年には68歳にして、6人目の子どもをもうけている。

    最初の妻ダイアン・アボットとの間の子に加えて、アボットの子を養子にむかえている。

    1995年には当時交際していたモデル、Toukie Smithとの間に体外受精で双児の子をもうけている。

    1997年に結婚したグレイス・ハイタワーとの間にも子がいるが、1999年にデ・ニーロは離婚の申し立てを行った(アナライズ・ミーはこの間に撮影された)。

    ハイタワーとは養育権で争い、ハイタワー側はデ・ニーロのドラッグ問題を理由に「父親としてふさわしくない」と主張したが、結局2人は離婚せず、2011年に代理出産で6人目の子どもをもうけた。

    イタリア人らしい「ファミリー」を大事にする理念を掲げ、とても「オス」らしい振る舞いに見えるが、これが「父であること」を得て、「ファルス」を断念する行為だとしたら、どうだろうか。


    イタリア人アイデンティティを強く持つデ・ニーロにとって、「家族を大事にすること」「父であること」へののっぴきならない欲動は、まるで「シニフィアンまみれ」のラカン・システムのようだ。

    世界は「認識できるものの数は、言葉の数に対応する」(ラカン)ような、シニフィアンに覆われたシステムだ。

    そこに言語をもたない「動物」の入り込む余地はない。

    動物とは、想像界しかもたない存在者であり、人間ではない。

    人間とは想像界しか持たない幼児の段階から、言語(=ファルス)を得ることで主体化される、理性的存在だ。

    ラカン的な主体が近代的な主体概念を脱構築しているとされるのは、ファルスは結局断念されなければならない自己言及的な数学的形式であることに由来する(諸欲動によって主体は断片化されているが、ファルスは決して分有されない)。

    この誤配のない数学的システムに動揺をもたらすのが想像界である。

    想像界は、動物や幼児のもつ性愛的空間であって、「大人の、立派な成人男性」はそこから抜け出ていなければならない。

    だが、「ゴッドファーザー」によって「イタリア人=マフィア」というステレオタイプの構築に寄与したとして、イタリアの名誉市民権を与えることに市民団体から反対されていたデ・ニーロにとって、「動物たち」である「オス」の「嗅ぎつけ」は、デ・ニーロの父性を脅かすものであったに違いない。

    動物たちとは、もちろん、マフィアのことでもなければ、彼の「周りのやつら」でもなく、デ・ニーロのエクリチュールとしての諸リビードのことだ。

    フロイトのリビードを(シニフィアンとしてではなく)エクリチュールとして表象代理させたのが、デリダの仕事内容であった。


    ダイエット

    234日目。

    体重63.3kg(19.2kg減)。体脂肪率17.3%(10.3%減)。


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