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    みっつの映画

    樹

    すごくベタで申し訳ないけど、『シン・ゴジラ』『君の名は。』『聲の形』というみっつの映画について、ちょっとだけ書こうと思う。備忘録的に。「すごくベタで」みたいなエクスキューズ入れるところがかっこ悪いとは思うけど、じっさい、実家に帰ってきてから映画ってあまり見なくなった。福島県って、郡山市(ぼくはここに近いところに住んでいる)にシネコン(テアトル郡山)があって、福島市にもっとでかいシネコン(イオンシネマ)とミニシアター系のシネコン(フォーラム福島)があって、県北と県中~県南とで、文化的環境が違いすぎる、というのはある。車で福島市まで行くのも可能だけど、高速代入れると、福島市でしかやらない映画は倍の値段がかかる。みっつの映画のうち『聲の形』は福島市でしかやらなかった。短く書こうと思うので前置きはこれぐらいにして。結論から言うと『聲の形』がチャンピオンです。ただし、原作既読の立場からそう思ったので、原作読んでいないとどう感じるかは分からないです。


    ■『シン・ゴジラ』(庵野秀明監督)

    これは観たときに記事を書いた。で、いまはちょうど、アメリカでプレミア先行上映があって、そのちょっと前には『ニューヨーク・タイムス』紙などにレビューが掲載されたりして、再び日本でも「シン・ゴジラ」の単語をよく目にするようになってきている。面白いと思ったのは、『ニューヨーク・タイムス』紙のレビューはどちらかと言うと冷笑的なもので、かといって本作のコンセプトをがっつり把握できてはいないようなので、『シン・ゴジラ』に熱狂したファンたちが「ぜんぜん分かってねえ!(怒)」と反発してもよさそうなものなのに、そういう反応は皆無で、「『シン・ゴジラ』はあまりにハイ・コンテクストな作品だから、そういう反応がふつうだよねえ」という反応がほとんどである、という点だ。日本人にとってもハイコンテクストなのだから、仕方がないと言うか、何と言うか。僕は2回観たのだけど、《自分があらかじめ持っている情報を元につくられた文脈》で1回目を観て、ようやく(自分の中で)ネタバレ解禁になって、《「こういう文脈をおさえておいた方が楽しめますよ」という情報を頭に叩き込んで、あらゆる文脈を動員》のうえで観る2回目とでは、やはり楽しさは違ってくる(でも2回目は泣かなかったな。たぶん。どうだったっけな)。アメリカのプレミアで観た人たちのレポートも読んだけれど、あの映画に対する感情の振れ具合は、僕のものとだいたい一致していると思った。地域差もあるようだけれど。ちゃんと前半の官僚主義的会議のところでは爆笑が起こったらしい。まだプレミア見に来るようなコア層にしか届いていないので、一般受けは期待しないほうがいいとは思うのですが。


    ■『君の名は。』(新海誠監督)

    新海誠の実質的なデビュー作だった『ほしのこえ』のDVDを、僕はちゃんと購入した派なんだけど、『君の名は。』のヒットの要因は、よく分かんない。すごく面白い作品だとは思うけど、リーチの要因が分からない。製作委員会が頑張ったというのも分かるし、この作品に関するアーリーアダプター層は中高生で(イノベーター層はもちろん『ほしのこえ』も『秒速5センチメートル』も観てきた人たち)、そうするとTwitterとInstagramが頑張った、というのも分かる。でもそれ以外の層(僕が観たときは、劇場に老人もいた)にリーチした状況は、ほんと、よく分からない。中でも、アーリーアダプター層(中高生)がどうして今いきなり新海誠なんだ、というのが謎すぎて、理解できる気がしない。イノベーター層の反応は、大雑把にはふたつに分かれていて、(1)《東宝がオタク(庵野秀明)に好き勝手やらせたら成功したのが『シン・ゴジラ』、東宝がオタク(新海誠)にガッツリ猿ぐつわハメて管理統制したら成功したのが『君の名は。』》という、いわば「調教された新海誠」「作家性を捨てて売れるものを作った新海誠」という評価が一方にあって、(2)《『ほしのこえ』にはじまる「セカイ系」の構造にはまるで変わりがなく、ある意味いつもの新海》という、いわば「金をかけたというだけの新海誠」という評価が他方にはある。僕は両方の言い分が、分かる。『君の名は。』は、言ってみれば金をかけて新海誠の過去作品の二次創作をしたものであるようにも見えるし、その意味で、新海誠による新海誠だとも言える(良く言えば、自分の作家性がどういうものなのか、理解して作っている)。しかし一方で、新海くん、本気か、これがほんとに君の作りたい映画なのか、という変な疑いのようなものが、もやもや~っと心のどこかに現れるのも事実だ。これは僕は2回観ていない。もう一回観たい。何故かうちの親が観たいって言わないんだよね。『シン・ゴジラ』のときは行こうって誘われたんだけど。


    ■『聲の形』(山田尚子監督)

    前述のように、僕は原作既読組で、これは映画化は不可能だと思っていた(ということもあって、観るのが非常に遅れた)。この物語は、世間で言われているように「障害者差別」「いじめ」が「テーマ」では決してなく、それらはいわばドミノの最初のコマを倒すきっかけにすぎない。ひとことで言えば群像劇で、その意味で、原作の最終巻は(僕は単行本派なのです)「急ぎすぎ」の感があって、ちょっとがっかりした覚えがある。最終巻、要するに群像劇の、群の、個々の人物たちのそれぞれの物語に決着を付けていくプロセスを、もっと丁寧に描いて欲しかった、という思いがある(作者はあらかじめ何巻で終わるかを決めていたと、当時言っていたように思う)。なので、そのような複雑で分厚い物語を、2時間ちょっとで完結するのは無理がある、と思っていた。が、山田監督は、やり遂げた。すごいと思った。もちろん原作からはだいぶ削られた箇所があって、この映画の中で西宮硝子が「○○」(ネタバレ回避)というタイミングは唐突すぎる感じもした。植野さんはいちばん複雑な人だと思うけど、あれじゃただの嫌な女にしか見えないんじゃないかとか、川井さんは原作でめちゃくちゃ気持ち悪い人間に描かれていたのに、あれじゃ川井さんをいじめているように見えるんじゃないかとか、色々思うところはあった。原作既読じゃない人の感想を聞いてみたい。期待していなかったのに観てみようかな、と思ったきっかけは、我らが牛尾くん(agraph)が劇伴をやっていると知ったからなんだけど、これがまあ、すごい。映画で泣いて、サントラでまた泣く。パンフレットのインタビュー(ほぼ座談会)で山田監督とイチャイチャしてたのが腹たったけど(笑)、こんなビッグな仕事をされたんじゃ、しゃあない。幸せにしてあげなよ、牛尾くん。もう一回劇場で観たいなあ。個人的にこれが今年のベストなので、ブルーレイが出たら欲しい。


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