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    シン・ゴジラ 光 詩

    水母

    発光しはじめたゴジラが、天を仰いで青じろい熱線を、垂直にたちあげたとき、ぼくの目尻から涙がぽろぽろとこぼれはじめた。厳密にいうと、ゴジラが発光しはじめてから、例の音楽のなかで幾筋もの光線を四方八方にとばして、例の駅の線路上でうごきをとめるまでのシークエンス全体をまのあたりにして、ぼくは泣いていた。なんて美しいんだろう。ゴジラは光を生み出していて、垂直的な光が天からゴジラに向かって一直線に突き刺さっているようでもある。ゴジラという滝壺に、光という滝が活けてあるようでもある。

    富澤赤黄男の有名な俳句《草二本だけ生えてゐる 時間》がぼくに喚起するのが、薄暗闇のなかで「草二本」が白びかりするガラスのタイルの隙間から生えている、静止したイマージュだとすれば(一字空けの空白が、白く光るガラスのように、プラスチックの床のようにみえる。そしてここでの「時間」はこの静止状態を留めおいているギリギリの持続であるように感じる)、ゴジラとその所有する光のシーンは、光が動いているイマージュである。光は動く。光速で。ゴジラもダイナミックに動く。そしてゴジラが光を帯び、光を放ち、光を受け取り、光そのものになる。なんて美しいんだろう。

    ぼくは涙もろいわけではなくて、むしろ感情がたかぶったりしたときにはすべての生体エネルギーが感情の局所点に向って渦を巻いて、筋肉のうごきや、涙を生成する細胞の働きをストップしてしまう傾向が強い。だから、映画館で涙を流したりするのは、たぶん20年ぶりぐらいじゃないかと思う。これはぼくの記憶の嘘かもしれない。この20年間に、映画館で泣いたことは何回かあるのかもしれない。そもそもぼくはこの文章を書き始める前には、あのシーンを、ゴジラの背中から出た光が垂直に天に刺さった、と記憶していた。ほんとうは口から出た光が天に向けられたのだということを知ったのは、パンフレットにそう書いてあったからだ(このパンフレットは「ネタバレ/注意」と明朝体で書かれた帯で封印されていて、鑑賞前に開かれないように配慮されている)。「白びかりするガラスのタイル」というイマージュを、ぼくは「マトリックス・リローデッド」のなかで、ネオが例の謎めいた地下鉄の駅に迷い込んだときのシーンから得たものだと長いこと思い込んでいた。そしてそのシーンこそ映画史上もっとも美しい画面であると。わりと最近、当該作品をDVDで見なおしたときに、そんなシーンは「リローデッド」のなかに出てこないということを知って、記憶の嘘に愕然としたものである。

    東京の高層ビルは美しい。もちろんそれが崩折れていく姿も美しい。東京ではほとんど目にできない廃墟も美しいけれど、冷たい生気が充溢した東京の高層ビルにはかなわないと思う(同じ高さ、それ以上の高さのビルが他の地域にあっても、同じ美しさを保つことはできない)。東京に16年ぐらい住んで、そこから離れて7年以上経って、記憶を美化しているという可能性もあるけれど、スクリーンでみた「最近の」東京のビルはやはり美しかった。「シン・ゴジラ」には出てこないけれど、五反田の東京卸売りセンター(略称がTOCというのだからたまらない)がテレビに映ると、いまでも郷愁を感じる(美しくはないしそもそも高層ビルじゃないけれど)。

    「シン・ゴジラ」には、生気を感じさせるものがたくさん出てくる。ゴジラ。高層ビル。プラント。戦車。無人航空兵器。無人在来線。並列処理のために接続された世界中のスーパーコンピューター。にんげんの形をしたいきものたちには、まったく生気を感じなかった。むしろゴジラたちの生気という「図」を浮かび上がらせるための「地」として堅実に機能していた。すばらしいことだ。もちろんぼくも人並みに、尾頭さんがあまりに魅力的すぎてつらい、画面にもっと出てくればいいのに、しかしそうすると、「能力が抜群に高い個人(ヒーロー)などいない」というこの映画の根本的なコンセプトに違反してしまう、悩ましい。というようなことも感じた。

    この映画は我々の日常語が「にんげん」とよぶものを正確に描いている。ものすごいスピードで進化していく「まったき生」であるゴジラに対峙するのは、不定型な、骨組みばかりガチガチに堅く老化しているシステムだ。その骨と骨の継ぎ目のところがちょうどにんげんの形になっている肉で、我々はこれを「にんげん」とよんでいる。

    現実的に考えれば、ゴジラが動いたり倒れたり熱線を吐いたりして、あるいは自衛隊や米軍や巨災対の攻撃によって、高層ビルは自重を支える構造を失い、崩壊したことになる。でもほんとうにそうだろうか(そうなのだろう)。東京の高層ビルは、自らの美しさに恥じらいを感じて自ら倒れたように見える。野村萬斎のゴジラの舞に同期をとるように。燃えあがる東京の街はなんて美しいんだろう。ゴジラは火焔を放射しながら、東京の炎によって祝福される。光を求めたゴジラが、光そのものになり、光を与えながら孤独なパレードをするかのように。

    プラトンの昔から(『国家』)、あるいは『創世記』の昔から、神秘体験と光は密接な関係をとりもってきた。「光は真理のメタファー」といわれることもあるし、逆に「真理が光のメタファーなのだ」といわれることもあった。「蒙を啓く」とはenlightenすることだ。ニーチェの『ツァラトゥストラ』では、「光を与えるもの」の孤独が描かれた。光を求め、光を乞うものたち(たぶんにんげんの形をしている)とは対照的に、光を与えるものは孤独だ。彼に夜は訪れないから、彼が光を受け取ることはできない。

    光、神秘主義、ときたらもう、これは美学化された政治、いわゆるロマン主義的なローカリズムということになってしまうのだけど、政治の美学化(審美化)はなにもナチス・ドイツの専売特許ではない。そういえば「シン・ゴジラ」の冒頭で発見される無人のプレジャーボートに遺されていたのは、宮沢賢治の『春と修羅』だった。西欧ではロマン主義がネーション=ステートを整備し、新ロマン主義がファシズムを準備したのに対し、日本にロマン主義が輸入されたのは19世紀も終わりになってからのことだ。宮沢賢治だってべつに文壇の中心で日本をファシズムへと煽動した役割を果たしたわけではない。いまも変わらないけれど、童話のようなマイナーなものを書いていたから、安心してマイナー趣味をひけらかすのに利用できたというだけだ。そもそも生前はまったく評価されていなかった。まるで才能がなかったというわけではない、とぼくは思っている。「毒もみのすきな署長さん」なんかは、生前に評価されてもよかったのではないかなあ。でもそのあと、国威発揚に利用されてしまったのは、気の毒でもあり、自業自得でもあるともいえる。ともあれ、「シン・ゴジラ」のあのプレジャーボートになぜ『春と修羅』があったのか、とくに作中では言及されない。新シリーズに向けての伏線かもしれないし、いざとなったら「なんの意味もないよ」と逃げられる意匠にすぎないのかもしれない。『春と修羅』のなかの「春と修羅」を特段にとりあげて考察する記事をいくつか読んだけれど、ううん、どうなんだろう。もし重要なところがあるとすれば、「序」がそうなのではないかとぼくは思った。

    これらについて人や銀河や修羅や海胆は
    宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
    それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
    それらも畢竟こゝろのひとつの風物です

    みたいなところとか、修羅(呉爾羅、およびプレジャーボートの持ち主)を描写しているようにも読める。

    けれどもこれら新生代沖積世の
    巨大に明るい時間の集積のなかで
    正しくうつされた筈のこれらのことばが
    わづかその一点にも均しい明暗のうちに
      (あるいは修羅の十億年)

    「新生代沖積世」というのは現代、つまり約1万年前からいま現在までをひとつの時代として把握する措辞で、なかなかかっこいいし、「あるいは修羅の十億年」というのは、呉爾羅は1万年前どころか10億年ぐらい起源を遡ることができる、という意味なのかもしれない。

    先日、詩人・長田弘について、倫理的に断罪するような、あるいはそうできる可能性があると示唆するような文章を書いた(しかし倫理的に断罪されえないものなどありえるだろうか)。少し付け加えておくならば、なにもホロコーストは美しいだとか、原発事故は美しいだとか、詩人が書いてはいけない、といいたいのではない。美しかったら美しいと書けばいいんだ。そんなばかばかしい難癖をつけているんじゃない。語彙もモチーフも関係ない。機銃掃射の美しさを書いたからといって、あるいはきのこ雲の美しさを書いたからといって、それで政治的旗幟が表現されるわけではない。そんな単純なはなしじゃないんだ。ひとの政治的旗幟は詩においてもっとも明瞭に表出してくるという事実は単純に真実だけれど、それだって、なにに美しさを感じるかなんてことではないのだ。

    長田弘が死んだ年に編まれた『長田弘全詩集』の巻末、「場所と記憶」という半自伝的文章(2015年に書かれた)には、W.H.オーデンを知って詩を書いた、というニュアンスのことが書かれている。のだけれど、やっぱり晩年には、長田みずからが《わたしは、詩を書きはじめてからいままで、じつにたびたび、W.H.オーデンの次のような三行にじぶんを積極的にかかわらせることを希んできた》とかつて書いたことを、忘れているように見える。

    僕らの考え以外のことは考えず
    飢え、非合法に活動して、しかも
    無名であることを

    オーデンのこの三行を含む詩は「狩猟で暮した僕らの先祖は」で、これを引用している長田の評論文は「愛――一九三〇年代への一視角」(1967年)だ。

    無名であったかはともかく(大有名人でなかったのはたしかだけど、NHKで17年も番組をもっていたし、読売新聞で川崎洋の後釜をつとめていた)、飢えてはいなかった。飢えていたら《日々に必要なものがあれば、ほかに何もないほうがいいのだ》(「徒然草と白アスパラガス」)なんて書かないだろうと思う(ぼくだったら、水をよこせ、パンをよこせ、職をよこせ、と書く)。「僕らの考え」は、なんだかどんどん狭量になっていって、「場所と記憶」では《パトリオティズムは宏量だが、ナショナリズムは狭量だ》みたいなあっけにとられるようなことまで口走っている。長田によればパトリオティズムは《城壁をつくらない》そうで、《「日常愛」をはぐくむのがパトリオティズムであり、詩だ》そうだ。そりゃつくらないだろうね。パノプティコン式の刑務所の中でそんなものはひつようがないから。

    村上龍が小説では才気煥発だったのにエッセイを書きはじめたらなんだか小学5年生男子の作文みたいになってがっかりしたのに似ている、と思った。いや、でも、長田はこういうポピュリズムに逃亡してしまう前は、硬質な詩論をたくさん書いていて、下手したら本職の詩よりも面白いんじゃないかというものを書いていたのだから、やっぱりなにか、井戸に落っこちていくような体験があったんだと思う。たんに「老い」で済ませたくはない、とぼくは思っている。100歳以上の老人だって、筋トレすれば筋肉は増大するのだし。

    長田は若いときにベンヤミン著作集の編集にかかわっているのに、『アウシュヴィッツへの旅』(1973年)ていう本まで出しているのに、さらに「場所と記憶」にはハンナ・アレントの名前まで出しているのに(まあ、そういう軽薄なところがこの人の魅力でもあるんだけど)、《戦争にいったものは、死んだ者も/生き残った者も、かならず、/Homeへ帰らなければならないからだ。》(「Home Sweet Home」)なんて書いてしまっている。ぼくがいま書いていることは、やはり倫理的断罪になってしまうのだろうか。そうとられてもしかたがないとは思う。でも、そうなのかなあ。倫理っていうか……もっとこう、友情みたいなのを大事にしたほうが、みたいなことがいいたいんじゃないかな。Homeなきディアスポラのひとびとのために、愛をもちだしてくれてもいいんじゃないかと。

    さっきもあげた「徒然草と白アスパラガス」では《ゲーテは詩のことばを、殊更めいた/ウンハイムリッヒなものとはしなかったと。》などと書いて、白アスパラガスを賞賛する。ゲーテについての不勉強はともかく(ゲーテだって生前は「ドイツ語を破壊する極悪人」扱いだったのだ)、詩人だったら白アスパラガスのウンハイムリッヒを、もっともハイムリッヒなもののうちに残されたウンハイムリッヒなものの痕跡を、その棄却のプロセスを発見していくのがすじってものじゃないのか。

    「シン・ゴジラ」は、不気味なばけものを倒した俺達の国バンザイ、なんて単純化はしなかった。まったくなにも解決しないままエンドロールをむかえたといっても過言ではない。そこにクリエイターの倫理があらわれているのだ。



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