Entries

    【元日】【元朝】歳時記シニフィアン

    牛
    • 元日やスポーツクラブ六時迄 秀雄
    • 三朝や両眉上げて座りをり 秀雄

    今日は新暦の1月1日である。

    一昨日アップした記事に、【年の暮】【数え日】といっても何の感慨もない、と書いた。

    同じように、【元日】にも【元旦】にも感慨はない(「旦」っていう漢字は、よくできているなあ、とは思う。これは地平線の上の太陽を表す)。

    勝間和代が「年末は大掃除をする気になるし、新年は新しいことをはじめる気になる」と書いていたけれど、ぼくには年末に掃除をする習慣もないし、新年だからといって新しいことをする習慣もない。

    前述の記事に、俳句と筋トレを始めたと書いたけれど、秋のことだった。

    2015年の【大晦日】(【大年】【大つごもり】)には、筋トレプログラムの次の段階に入って、ウェイトを全体的に上げたし、タンパク質摂取パターンの変更も行った(冒頭の句、「元日や」と書いているが、昨日ジムに行ったので、今日は行かない。昨日もジムは6時までの変則営業だった)。

    小さな、かつ、必要最小限の決断を日々行っていれば、「年を改める」という外的要因は必要が無いと考えている。

    決断はコストなので、必要最小限に抑制するべきだ。ようはルーティーンを作る決断、ルーティーンに潜り込む決断、脱け出す決断、この3つだけ行えばよい。

    俳句をはじめるまで、歳時記が春夏秋冬に加えて新年というカテゴリーを持つことを、ぼくは知らなかった。

    山本健吉によれば:

    旧暦時代には、「新年」はすなわち「初春」だったが、新暦時代となって、立春以前に「新年」が来ることになったので、歳時記類でも、四季の外に「新年」の部を立てるのが普通になった。変則ではあるが、国内にまだ旧暦正月を守っているところがあるので、やむを得ない。

    (山本健吉『基本季語五〇〇』(講談社学術文庫))

    そういえば、旧暦でいうならば、まだ今日は11月22日である。【霜月】で、まだ仲冬だ。旧暦12月1日(【師走】の朔日)は、新暦1月10日(月が新月のときに朔日〔ついたち〕となる)。

    などとダラダラ書いていたら気づいたのだが、今年は【立春】が新暦2月4日で、旧暦1月1日(【睦月】の朔日)は新暦2月8日である。つまり元日の前に立春が来る。もしかしてこれがいわゆる「年内立春」なのだろうか。

    ダラダラついでに書くと、よくわからないことがいくつかある。

    正月に来る神のことを「正月様」という場合と「年神様」という場合とがある。

    この2つは同じものだろうか(Wikipediaでは同一視しているようにも見える)?


    「年神様」はいわゆる「氏神様」のことであり、大国主命などの姿で表象される。

    柳田国男が言ったように、先祖の霊はまず山にのぼり(おそらく海の民に関しては、沖に出る)、やがてより大きな山神に習合する(海の民だとワタツミに習合する)。

    これを迎えるのが、12月13日の【煤払】に始まり、1月15~16日の【小正月】 に終わる、「正月行事」であった。かつては「正月行事」はひと月がかりの大仕事だった。

    12月13日(煤払)に山から松の枝を伐って、門口に飾る(【松飾る】【門松立つ】)のが「松迎え」という行事。門松は年神の「依代」という呪術的意味を持つが、山の松が必要なのは、氏神が山にいるという信仰の名残だろう。


    歳晩(仲冬)の季語に【歳暮】があり「せいぼ」とも「さいぼ」とも読むが、これは【年の暮】の傍題であって、正月行事の「お歳暮」とは別である。正月行事の「お歳暮」は、もとは氏神を祭るための餅・米・魚を、氏を代表する本家に、分家が送るものだった。

    【鏡餅】は年神様の「ご神体」と考えられていた。【鏡開】(【鏡餅開く】)は4日もしくは11日に行われた。

    【立春】の前日を【節分】というが、【豆撒】(【追儺〔ついな〕】の傍題)が災厄を追い払う儀式として行われた。この日を【大晦日】と言い、その夜を【除夜】と言った。


    さて、ここで「年神様=氏神様」と「正月様」の習合が生じる。

    近年、「恵方巻」がセブンイレブン主導で【節分】の商品として売り出されているが(1998年にセブンイレブンが「恵方巻」として商品化)、【恵方】は【恵方詣〔えほうまいり〕】の傍題で、これは「歳徳神」の来訪する方角のことである。

    おおむね、「歳徳神」が「正月様」と同一視されるのだが、これは陰陽道に起源がある。

    そしてこれは櫛名田姫(クシナダヒメ)として表象されることが多い。

    櫛名田姫とは奇稲田姫(クシイナダヒメ)、つまり稲田の女神のことで、スサノオがヤマタノオロチを退治する際に彼女を櫛に変えたのは、奇稲田姫→クシナダヒメ→櫛名田姫という言葉遊びからきている。

    ヤマタノオロチは竜神で、水の神、つまり川の神であり、ヤマタノオロチを祀る民間信仰もある(山の神とする説もあるが、川は山から流れてくるのだから同じことである)。

    『古事記』『日本書紀』の時点では、すでにスサノオが神々の系譜に入り込んでおり、ヤマト朝廷史観でリライトされた政治的文献として成立している。『古事記』はそれでも、より素朴な姿を残しているとはいえ。


    おそらく、大雑把に言って、ここには3つの層が重なり合っている。

    • 第1層:竜神(蛇)=山神ないし水神=ヤマタノオロチ
    • 第2層:クシナダヒメ=稲田の女神ないし巫女
    • 第3層:スサノオ=大陸・朝鮮半島系ヤマト民族

    ぼくの考えでは、第1層は柳田国男のいう「山人(やまびと)」、第2層は「山民(さんみん)」、第3層は「常民」に対応する。

    山人は縄文時代に日本列島に入ってきた狩猟採集による獲得経済で生活する民族。

    山民は狩猟採集に加えて牧畜と焼畑農業を開始した民族。

    常民は水稲農業を開始した、というか大陸・朝鮮半島から水稲テクノロジーを持ち込んだ民族。

    この3つの民族は、それぞれ完全に分離したり、対立していたというより、ゆるやかに混血・混交し、あるいは住む土地を譲り渡して移住した。たとえば北海道では弥生時代に弥生文化をもたない「続縄文文化」とよばれる文化があったし、琉球にも同様の痕跡がある。

    東北地方にはアイヌ語の地名が現在も残っている。ヤマトからみて同じ「蝦夷(えみし)」でも、すぐに服属した「和蝦夷(にぎえみし)」もいたし、なかなか服属せずにいつまでたっても征夷大将軍の征伐対象となっていた「荒蝦夷」もいた。阿弖流爲(アテルイ)の伝説はいまだに俳句の素材として人気が高い。

    また、神話・信仰にかんしても、それぞれの層が対立するものというよりも、たとえば焼畑農業を始めて以降、それまでの山神/水神信仰と、川の氾濫をコントロールする役割の巫女、という組み合わせが信仰されたのだろう(=山民の信仰)。


    スサノオが出てくると(これを日本の神話体系に潜りこませるのに、非常に苦労したあとがみられるのだが)、最古層の竜神は「退治されるべき悪の化身」として観念されるようになる。『遠野物語』では、山人は、山をひとりで歩く村人(=常民)を眠らせてしまう魔力を持つものとして(常民によって)語られる。

    また、水稲稲作がテクノロジーとして定着して以降、クシナダヒメからは川の氾濫のコントロールという役割が奪われ、もっぱら稲作の豊穣を祈願する役割が与えられた(=常民の信仰)。

    (とはいえ、稲作の豊穣には、川の氾濫が欠かせないものだったから、クシナダヒメ的なものとヤマタノオロチ的なものは切っても切れない関係にあったのだろうとは思う)


    話を元に戻すと、もっぱら常民の信仰が支配していた世界において、歳徳神=櫛名田姫が「正月様」(陰陽道の神)として信仰の対象になったことは、奇妙に思える(櫛名田姫自体は記紀に描かれているが、なぜとりたてて彼女が正月様になったのか、という意味で)。

    俳句の季語として採用されている【元朝(元旦)】の別名が【三元】【元三】【三の始〔みつのはじめ〕】であるのは、「年の始」「月の始」「日の始」の3つの「時のスタート」が同時に訪れることを表している。

    だとすれば、たとえば天照大神(太陽神)などが「正月様」になっても良さそうなものだ(じっさい、「櫛名田姫=天照大神」説を唱えた在野の研究者もいた。が、妄想にすぎないだろう)。

    おそらくは、農業を主要な産業として、日本の信仰は(わりといいかげんなかたちで)習合し、そのとき、農業の象徴としての櫛名田姫=奇稲田姫が表象されたのではないだろうか。

    また、農村の信仰(=常民の信仰)といっても、元は山岳信仰やワタツミ信仰だったのであり、先祖の霊が山にのぼっていき、やがて氏を代表するものとして習合する、と観念されたのも、山民が山人を、また常民が山民を、あるいは山民の向こう側に想像的に見出される山人を畏れ敬ったことの名残であると思われる。

    そうすると、「年神様=氏神様」をお迎えする「山の信仰」と、「正月様=歳徳神」をお迎えする「ヤマトの信仰」も、いいかげんな形で習合していると言える。


    坪内稔典がこう書いている:

    今から半世紀前の若い日、正月の季語の多くは生きていたが、都市化という時代の急変があって正月そのものがほぼ滅びた。正月の季語は古典季語になってしまった。

    (略)

    正月とは歳徳神(正月様)がお年玉をもたらす月だった。お年玉をもらうからめでたかったし、お正月様が来ておられるからそのしるしにしめ縄を飾った。でも、今は正月様はやってこない。年があらたまり新しい年が来たことがめでたくなった。つまり、かつての正月はすっかり古典化したのだ。

    (『俳句』2016年1月号、56~57頁)

    坪内稔典は「都市化という時代の急変」がここ「半世紀」のことであると感受しているが、江戸時代の都市化の進展は今とは比べ物にならないほど急激なものだった。

    たとえば芝神谷町の、弘化三(1846)年~嘉永二(1849)年の年間平均転出率は58パーセントだった。1年で半数以上の住民は入れ替わっていた。

    鴨長明の『方丈記』は、《ゆく河の流れは絶えずして》なる「哲学」の部分が有名だが、内容は、京都の街がいかに移り変わりが激しいか、ということを延々嘆いているばかりである。もう誰も知っている者はいない、立派な家なんか建てても火事やら災害やらで根こそぎ消えているではないか、云々。


    【年玉】をくれたのは、正月様=歳徳神だった。年玉をもらえるから、めでたかった。

    が、年神様=氏神様は年玉をくれないのだろうか。おそらく年神様がくれるものは、年の改まり=生命の更新・再生である。

    旧暦において、「数え年」で年齢を数えていたのは、人は【立春】=【元朝】(=日の出の瞬間)において一斉に年をとる、と観念されていたことによる。誕生日を祝う風習は、新暦導入後のことだ。

    人も植物も、正月に再生・更新する、と思われていたため、正月行事は、農民にとって重要なものだった。


    思えば、【七草粥】と【七種粥】も、ごっちゃになり、混同されている(どちらも「ななくさがゆ」と読む。俳句の歳時記でも同じものとして扱われている)。

    「七草」は「人日(じんじつ)の節句」である1月7日に食べるもので、中国起源(元日のことを「鶏日」というのは、1日=鶏・2日=狗・3日=猪・4日=羊・5日=牛・6日=馬・7日=人、と割り当てていたから。1月7日には人の死刑は執行されなかった)。

    「七種」は小正月のもので、1月15日に食べる。この日は満月で、12月13日の【煤払】から始まる「正月行事」の締めくくりとなる。

    このふたつがごっちゃになった結果、形式のみ残り、「七種」を1月7日に食べる風習になった。

    ここにも、正月様と年神様の混同、習合が見られるといえる。


    • せりなずなごぎょうはこべら母縮む 坪内稔典
    • ほとけのざすずなすずしろ父ちびる 坪内稔典

    【元日ぐわんじつ】 お元日 鶏日(けいじつ)

    一月一日、一年の最初の日。新年を迎えめでたさもひとしおである。屠蘇を酌み、雑煮とお節料理を食べる風習が今でも受け継がれている。初詣をして新年を寿ぐ。中国の前漢時代には正月の六日まで禽獣を、七日に人を占った。元日には鶏を占ったことから、元日を鶏日ともいう。

    (角川学芸出版編『俳句歳時記 第四版増補 新年』(角川ソフィア文庫))

    元日ぐわんじつ お元日 鶏日 日の始(ひのはじめ)

    【解説】一月一日、年の始の第一日であり、国民の祝日である。戦後正月の情緒はうすれがちであるが、元日は特別で何か清新な気分があたりに漲り、天地がめでたい空気の中にある。朝、昼、夜それぞれ異なった情緒の微妙に組みとれるのも元日だからであろう。

    (大野林火編『新装版 俳句歳時記 新年の部』(平凡社))

    元日 お元日・鶏日・年の始・月の始・日の始・三始・三の始・三元(さんげん)・元三(がんさん)

    年の始めの第一日であり、国民の祝日とされている。年の始・月の始・日の始だから三始と言い、三の始・三元・元三ともいう。

    とくに元日の朝を、「元旦」「元朝」「鶏旦」「歳旦」「大旦」などというが、「元旦」「歳旦」などはまた「元日」に代用して用いることもある。

    春のはじめの日であるからは、元日は「春立つ日」であるはずだが、太陰暦と太陽暦との併用によって日本古来の暦は作られているので、太陰暦の元日と太陽暦の立春と、必ずしも日が重ならないのは止むを得ない。立春は大方、太陰暦の元日よりやや遅れるのが普通だが、時として十二月中に立春が来ることがあり、「年内立春」と言った。

    現在の元日は、もちろん太陽暦で、明治六年元日より採用された。寒にはいる五日ほど前で、これから本格的な厳寒の候に入るころである。

    『古今六帖』第一春に「ついたちの日」、『夫木抄』巻一春部一に「朔日(さくじつ)」「元日宴」の題が立ててあるが、「あら玉の年たちかへるあしたより待たるゝものは鶯の声」素性(そせい)法師(『拾遺集』巻一春)以下、ここに挙げるまでもない。

    連俳では『初学抄』『鼻紙袋』『俳諧新式』以下、「元日」を挙げる。

    「鶏日」というのは、『荊楚歳時記』に、「正月一日を鶏日、二日を狗日、三日を猪日、四日を羊日、五日を牛日、六日を馬日、七日を人日という」とあるのによる。六種の家畜(猪は豚のこと)と人とを七日間に配したので、それぞれの家畜をその日は屠殺しない日であり、人日は死刑を行わない日であるという。

    (後略)

    (山本健吉『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫))

    • 元日やおもへばさびし秋の暮 芭蕉
    • 元日の炭売十の指黒し 其角
    • 元日や暗きより人現はるる 暁台
    • 元日の水車まはれり谷の家 寒川鼠骨
    • 元日を初雪降るや二三寸 尾崎放哉
    • 元日やゆくへもしれぬ風の音 渡辺水巴
    • 元日や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介
    • 眼さむれば元日暮れてゐたりけり 岡本松浜
    • 元日の雨元日の田にそそぐ 原田喬
    • 元日の客とぢこめて豪雨かな 富田木歩
    • 元日のむらさきにほふ闇に覚む 篠原梵
    • 元日の殺生石のにほひかな 石田波郷
    • 人思ふ時元日も淋しけれ 高橋淡路女
    • 元日の敷居に腰掛けてをりぬ 加倉井秋を
    • 廻廊に元日の潮満ち来る 山田緑子
    • 元日の鳩よせてゐる靴磨 岡村天錦草

    *殺生石=せっしょうせき


    【元朝ぐわんてう】 元旦(ぐわんたん) 大旦(おほあした) 鶏旦(けいたん) 歳旦(さいたん)

    元日の朝。「元旦」「大旦」「鶏旦」「歳旦」も同じ。

    (角川学芸出版編『俳句歳時記 第四版増補 新年』(角川ソフィア文庫))

    元朝ぐわんてう 元旦 歳旦 鶏旦 改旦 朔旦(さくたん) 大旦 初旦(はつあした) 元三(げんさん) 三元(さんげん) 三朝 三始(さんし) 三の晨(みつのあした) 三の始(みつのはじめ)

    【解説】元日の朝である。元日は朝、昼、夜ともにそれぞれの情趣が汲みとれるものであるが、朝は特に瑞気を感ずる。「元旦」「歳旦」は同じことであるが、歳旦には年の始、新年の意も含み多少感じが違う。歳旦開などの用例のように、俳諧などで特に三ガ日間の意をも歳旦ということがある。「三朝」は年の朝、月の朝、日の朝の意であり、「三旦」「三元」「元三」(元ははじめ)「三始」ともいい、またやわらげて「三の晨」「三の始」などともいう。→元日

    (大野林火編『新装版 俳句歳時記 新年の部』(平凡社))


    • 元朝や祝禱の比丘五百人 河野静雲
    • 元旦の浮雲もなく疲れゐる 宮武寒々
    • 歳旦にこだはり医療ておくれに 金子伊昔紅
    • 元朝の凍ての極みの墨を磨る 中島斌雄
    • 磔刑の日はとほくして大旦 久野幸子
    • 元旦の畳にこぼす咳薬 富島一雄
    • 元旦の囚徒糞まるときも看られ 辻井喬木
    • 歳旦や童子小便いさましき 鵜久森潮路
    • 元旦や分厚き海の横たはり 大串章
    • ひたすらに風が吹くなり大旦 中川宋淵
    • 撫でて在る目の玉久し大旦 三橋敏雄

    関連記事
    スポンサーサイト
    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
    http://orangeprose.blog.fc2.com/tb.php/1770-ec3bf54b

    トラックバック

    コメント

    コメントの投稿

    コメントの投稿
    管理者にだけ表示を許可する

    Appendix

    counter

    FC2ブログ

    ブログ

    リコメンド




    ノートンインターネットセキュリティ


    ブログランキング

    QRコード

    QR

    メールで更新を受け取る



    提供:PINGOO!

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる