Entries

    兎穴のアリス・落下中

    alice 2

    昨日の続き。

    昨日は、今年が『不思議の国のアリス』150周年であること、アニバーサリー本としてベストなのは『不思議の国のアリス ビジュアルファンBOOK』であること、アリスに影響されて筋トレをはじめたこと、などを書いた。

    それから、翻訳してみようと能動的になってみると、よりアリスの面白さが深まる、というようなことも書いた。

    この記事では、『不思議の国のアリス』の第1章のとある箇所について書こうと思う。

    『不思議の国のアリス』の新しい翻訳が出るたびに、ぼくがまずはじめにチェックするのは、第1章の、次の箇所、つまりアリスがウサギ穴に飛び込んで、オレンジ・マーマレードの瓶が空っぽで、それからあれこれ声に出してお喋りしながら落っこちていく、あのシーンの一節。

    とりあえず、いちばん一般的に手に取られていると思われる、角川文庫の河合祥一郎訳から引用してみよう:

    ひゅーんと下へ、どこまでも。これって終わりがないのかしら? 「もう何キロぐらい落ちたかしら」とアリスは声に出して言ってみました。「地球の中心近くまで来てるはずだわ。それって、ええっと、六千三百キロだったはず――」(アリスはちょうど学校でそういったことを習ったところだったのです。まあ、だれも聞いているわけではなかったので、知識をひけらかすにはあまりよい機会ではありませんでしたが、おさらいをするのはよいことですよね。)「――そう、それくらいかな――でも緯度経度で言うと、どうなるかしら?」(緯度とか経度がなんなのか、アリスにはちっともわかっていませんでしたが、ちょっと偉そうな言葉だったので言ってみたかったのです。)

    すぐにまた、アリスはおしゃべりを始めました。「地球をつきぬけちゃうんじゃないかしら! 頭を下にして歩いている人たちのなかに飛び出したら、おかしいだろうなあ! 対庶民とか言うんだっけ――」(今度ばかりはだれも聞いていなくてほっとしました。だってこの言葉、すっかりまちがっていておかしいような気がしたんです。)「――でも、その国の名前はなんというのか聞かなくっちゃ。あのう、すみませんが、ここはニュージーランドですか? オーストラリアですか?」(そう言いながら、スカートのすそをつまんで左足を引いてひざを曲げ、ちょこっと身を低くする女の子のおじぎをしようとしたのですが――宙を落ちながらそんなおじぎをするなんて考えてもみてくださいな! できると思いますか?)「そんなこと聞いたら、なんてばかな子だろうと思われちゃう! だめ、だめ、聞いちゃだめ。たぶん、どこかに書いてあるのよ。」

    (河合祥一郎訳)

    前後の文脈もわかるようにするため、ちょっと長めに、2段落にわたって引用した。

    ちなみに原文でイタリック体になっている部分は、翻訳では(河合祥一郎にかぎらず、たいていのケースで)傍点になっている。

    この記事で引用する場合には、傍点は省略することにする。

    さて、さっき新しい翻訳でまずチェックする箇所、と言ったのは、今の引用中だと、《対庶民とか言うんだっけ》というところ。

    「対庶民」って、なんだろうね?

    「アリスの翻訳」に前から順番に取り組んでいくと、(巻頭詩を省くとすると)この部分で、まず、躓く。

    大抵の場合、ここで翻訳を投げ出す。

    だから、ここをどうやってその翻訳家はのりきったのか、ということに、とても興味がある。

    この部分を検討する前に、今の引用箇所を、(この前のシーンから)詳しく見ていこう。

    アリスは白ウサギを追って、ウサギ穴に飛び込んだ。

    とても深い井戸のようなところをひたすら落下していく。

    とても深い井戸だからなのか、落ちる速度がゆっくりだからなのか、周りを眺めたり、あれこれ考えたりする時間がたっぷりある(ちなみに、落ちた時には「井戸みたいなところ」だったのが、落下中は「井戸」と断言されている)。

    井戸の壁を見ると、地図とか、カップボードだとかがある。

    アリスは棚から「オレンジ・マーマレード」とラベルが貼られた壺(瓶)を手に取るけれど、残念なことに空っぽだ。

    落として下にいる誰かを殺したら嫌なので、また棚に戻す。

    こんなに高いところから落ちたのだから、もう、階段から転げ落ちても、屋根からおっこちても平気だ、とアリスは思う。


    アリスは声に出してお喋りをはじめる(アリスは、一人二役をするのが好きな子だ)。

    《もう何キロぐらい落ちたかしら》と河合祥一郎は訳しているけれど、もちろん原文では「何マイル」となっている('I wonder how many miles I've fallen by this time?')。

    《地球の中心近くまで来てるはずだわ。それって、ええっと、六千三百キロだったはず》ここも原文では「4000マイル」。

    日本人に馴染みのある「キロ換算」にするか、マイルのままにするか、というのも重要な翻訳者の決定なのだけれど、この部分は、やはり「4000マイル」じゃないと、幾分か不自然な感じがする。

    このアリスは7歳で、だけどちょっと大人びた言葉遣いをしてみる趣味がある。

    なので(山形浩生が言ったように)、「7歳らしい子」に描写するより、だいたい今の日本の中学生ぐらいの子のつもりで訳すと、ぴったりくる。

    でも、やはり7歳の子が、地球の中心までの距離として「6300キロ」と正確な数字を覚えているのは、少し不自然。

    「4000マイル」とキリのいい数字だから、たまたま覚えていたと考えたほうがよい。

    で、河合訳では、この不自然さを補うべく、《アリスはちょうど学校でそういったことを習ったところだったのです》と訳している。

    この部分は、原文ではたんに過去完了形で書かれている(Alice had learnt several things of this sort in her lessons in the schoolroom)。

    河合訳は「ちょうど~ところだ」と、まあ、日本の中学校で現在完了形を習うときの定番の「完了」の意味で訳されているが、「ちょうど(just)」という言葉は原文にはない。

    原文のニュアンスとしては、いまのアリスのセリフ(過去形)が話された時点からみて、それよりも前の時点で、学校で習っていた(ことがある)、というぐらいだろう。

    河合訳では、「6300キロ」というとても細かい数値を覚えていたのは、「たまたまちょうど習ったところだから」だ、という(原文にはない)「補い」がなされているということになる。

    ちょっと脱線した。

    とにかく、アリスは地球の中心までの距離を口にしたはいいけれど、誰も聞いている人はいなかったので、知識のひけらかしには失敗。

    でも、復習にはなったので、よかったね、というドッドソン先生(ルイス・キャロル)のコメント。


    続いて《緯度経度》。

    でもアリスは緯度も経度もなんのことか、ちっともわかっちゃいなかった。

    《ちょっと偉そうな言葉だったので言ってみたかったのです》(thought they were nice grand words to say)。

    「偉そう」っていうより、「口にするにはナイスでグランドなワード」ようするに「なんかカッコいいかも」というニュアンス。


    次の段落。

    《地球をつきぬけちゃうんじゃないかしら! 頭を下にして歩いている人たちのなかに飛び出したら、おかしいだろうなあ!》(I wonder if I shall fall right through the earth! How funny it'll seem to come out among the people that walk with their heads downward!)。

    アリスは、地球の反対側に行ったら、そっち側の人達は、逆立ちして歩いてる、と妄想してしまう。

    もちろん、この「7歳のアリス」がふだんからそう本気で考えるようなお馬鹿な子だということじゃない。

    とにかく、このウサギ穴に入ってからというもの、アリスの考えとか、言葉とかは、むちゃくちゃになっていく。

    それ以上に、「不思議の国」における「冒険」(Adventuresと複数形である)は、もっとむちゃくちゃだけど。

    その前触れ、これから起きることのほのめかし、という効果をもつセリフ。

    だから「この瞬間」においては、アリスは「本気で」そう思ってしまう。


    さて、ようやく、問題の対庶民にきた。

    (…)対庶民とか言うんだっけ――」(今度ばかりはだれも聞いていなくてほっとしました。だってこの言葉、すっかりまちがっていておかしいような気がしたんです。)

    この箇所、原文では次の通り:

    The Antipathies, I think—' (she was rather glad there was no one listening, this time, as it didn't sound at all the right word)

    河合訳で「対庶民」と訳されているのは、"The Antipathies"である。

    直訳すれば、「反感」とか「嫌悪」となる。

    anti-(「反」とか「対」とか)のpathy(パトス、つまり感情)なので、「反感」。

    問題は、これが「間違った」言葉だということだ。

    問題を整理しよう。

    まず、アリスは本来なら、何という単語を口にすべきだったのか?

    ここにも、翻訳者ごとに、解釈の違いが出る。

    いくつか、代表的な解釈を列挙しよう:

    • antipodean [形](1)オーストラリア・ニュージーランド人の(2)対蹠地の;[名](1)オーストラリア人やニュージーランド人(2)対蹠地に住む人
    • Antipodes [名]アンティポデス諸島
    • antipodes [名](1)対蹠地(たいせきち)(2)対蹠地の一方

    この中でもっともよく採用されている解釈は、みっつめの「対蹠地」である。

    河合訳ももしかしたら、これを採用しているのかもしれない【仮説1】。

    では、なぜ、「antipodesと言いたかったのにantipathiesと言ってしまった」アリスのセリフが「対庶民」と訳されるのか?


    この部分を直訳するなら、こうなる:

    (…)反感、って言うんでしたっけ――」(今回は誰も聞いていなくて、本当によかったとアリスは思いました。正しい言葉のようには、ちっとも聞こえませんでしたから)

    これでは、なんのことやらまるで意味不明である。


    19世紀中葉の、イギリスの辞書がどうなっているか、わからないのだけど、antipathyとantipodesは、とても近い位置にある。

    ぼくの手元にある『アンカーコズミカ英和辞典』(このブログでも、たびたび、現時点で高校生~大学受験生に唯一勧められる英和辞典として参照してきた)だと、antipathyの次の次の次がantipodeanで、その次がantipodesだ。


    つまり、"nice grand words to say"を口にしてみたがりガールのアリスが、ちょっと難し目の単語を言おうとして、間違えて似た言葉を言ってしまった、というのが、このシーンの面白さだ。


    さて、だとすれば、いちばん単純に、この「面白さ」を翻訳しようとするなら、日本の国語辞典の「対蹠地」のすぐ近くにある、でも意味がまるで似ていない言葉に訳せばよい、ということになる。

    しかし。

    あなた、「対蹠地」って知ってますか?

    ぼくが思うに、アリスおたくと地学を専攻する人以外でこの単語を知っている日本人は、少ないんじゃないか。

    というか、そもそも、日本の国語辞典に「対蹠地」って、載ってるんだろうか。

    結論から言うと、「対蹠地(たいせきち)」も「対蹠(たいせき)」も、載っていない。

    その代わり、「対蹠(たいせき)」の「慣用読み」である「対蹠(たいしょ)」、または「対蹠的(たいせきてき)」の「慣用読み」である「対蹠的(たいしょてき)」が載っている。


    日本で現在最も権威があるとされている、『三省堂国語辞典 第七版』はこうだ:

    たいしょてき[対蹠的](形動ダ)〔「たいせきてき」の慣用読み〕〔文〕正反対であるようす。対照的。「-な立場にいる」

    (『三省堂国語辞典 第七版』)

    ついでながら、同じく三省堂の人気辞書、『新明解国語辞典 第七版』はこうだ:

    たいしょ【対蹠】〔本来の字音タイセキの類推に基づく。「蹠」は足の裏の意〕正反対の位置(にあること)。「-点」 -てき【-的】正反対の(で妥協を許さない)様子だ。

    ちなみに、同じ三省堂の巨大辞典『大辞泉』には、「対蹠(たいしょ)」があり、新明解とだいたい同じようなことが書かれている。


    日本語の問題になるのだけど、そもそも「対蹠」は「たいせき」と読む。

    が、「足+庶」なので、「おそらく読みは『しょ』だろう」という「勘違い」が生じ、それが慣用化され、「たいしょ」という読みだけ、辞書に載るようになった。

    しかしこの言葉自体、(『三国』に〔文〕というマークがあるように)古めかしい言葉である。

    つまり日常的には使われていない言葉だ。

    だから、現代の我々が「対蹠地」などという単語を目にしたとして、(まあ、なんとなく、どういう雰囲気の単語なのかはわかるとはいえ)アリスのいるイギリスの、地球の反対側をイメージすることは難しい。


    とまあ、こういう厄介な問題になってくるわけだ。

    とはいえ、「アリスはほんとうはantipodesと言うべきだった」という「解釈」をとり、antipathiesを「対庶民」と訳した、「河合祥一郎の意図【仮説1】」はこれで解ける(【仮説2】はこの記事後半で述べる)。

    • アリスはantipodes「対蹠地」と言うべきだった
    • でも間違えてantipathiesと言ってしまった
    • 「対蹠(たいせき)」は「たいしょ」と慣用読みされる
    • なぜなら「蹠」って、「庶」に似ているから
    • アリスは、「言い間違い」をしたのだから、「対蹠」と「庶民」を合わせた「対庶民」と言ったことにしよう

    う~ん、ちょっと苦しいけど、河合訳はこういうふうに作られたのではないだろうか【仮説1】。

    そう考えると、考えの方向性としては、けっこううまいこと考えたなあ、というふうにも思う。

    けど、これってやっぱり、日本人の一般の読者には、分かりづらい。

    というか、まるで意味がわからないと思う。

    そもそも「対庶民」という単語は日本語にないのだから(antipathyは英語にちゃんとある)。

    もちろん、意味はわからなくてもいい、とも言える。

    ようは、「アリスは変な言い間違いをした」ということが訳されていればいいのだから。


    では、他の訳者は、どうここを乗り切っているのか。


    『ビジュアルファンBOOK』には新訳が載っている、と昨日述べた。

    こう訳している:

    地球の後ろ側に……(今回は、聞いている人がいなくてよかったとアリスは思いました。何だか表現が間違っているような気がしたのです)

    (琴葉かいら訳)

    これは、なかなかうまい訳ではないか。

    本来なら「地球の裏側」と言うべきところを「地球の後ろ側」と言ってしまった。

    これなら、「言い間違いをした」ことも伝わるし、「後ろ側」という言葉にもちゃんと意味がある。

    ただ、言い間違いというほどの間違いかなあ、という疑問はある。

    ようするに「地球の裏側」と「地球の後ろ側」だと、意味が近すぎるのだ。

    アリスがantipodesとantipathyという、ほとんど意味が交わらない――だけど同じanti-だから、脳内のイメージ倉庫みたいなところでは、隣の引き出しぐらいの微妙さ――言葉を取り違えたことが、伝わらない。

    次に、矢川澄子訳を見よう。

    金子國義の挿画で有名な、新潮文庫版:

    たしかツイセキチュウとかいうのよね――」(ヒヤヒヤ、こんどばかりはだれにも聞かれないでよかった。このことばはどうみても怪しげだもの。地球の正反対側のことなら対蹠地〔タイセキチ〕じゃないか)

    (矢川澄子訳)

    わりと評判のいい矢川訳だけど、逃げてしまった。

    原文にない、「ネタの解説」をしてしまっている。

    しかも、ネタを解説されても、タイセキチって、なんじゃい、ってなってしまう。

    とはいえ、訳が苦しくなるのは、アリスにはつきもの。

    ご苦労さまです。

    ここでついでに付け加えておくと、今の矢川訳みたいな「逃げ」をうつのは、アリス訳でもわりと伝統的に使われていた手法だ。

    有名な芥川龍之介&菊池寛による翻訳――これは先行する楠山正雄訳の丸パクリ、とまではいかないまでも、コピペして修正した、ぐらいのものであることがわかっている――だと英語でこういう言い間違いをしたんだ、と開き直っている。

    反対人(対蹠人のまちがひ)といふんだつたわね

    (楠山正雄訳)

    反対人(アンテイパシーズ)(アンテイポデイーズ対蹠人とまちがへた)

    (芥川龍之介・菊池寛訳)

    芥川&菊池はひどいなあ(笑)。

    芥川&菊池訳のアリスは、芥川の研究者とか、アリスの研究者とかの間の希少価値本扱いだったのだけど、さいきんパール文庫(真珠書院のジュニア向けレーベル)から復刊されてしまった。

    こっそりと、研究書扱いで復刊されるならまだしも、どうどうと一般向け・ジュニア向けに復刊されてしまったものだから、アリスおたくのおじさんたちは動揺してしまったんだね。

    少し笑える光景だったんだよ。

    以上余談。

    次に、「おっかない訳」で有名な柳瀬尚紀訳。

    ジョイスの翻訳などで有名な。

    ちくま文庫から:

    退席地っていったかしら――」(今度は誰も聞いていないのでむしろほっとして、というのもこの言葉はどうも正しくなさそうだった)

    (柳瀬尚紀訳)

    ぼくの考えでは、柳瀬はここで、今後のアリスの冒険の先取りをしている。

    どういうことか。

    非常に有名な「尾話」が出てくるのが第3章。

    ウミガメなのにあだ名がリクガメだった校長先生の話は第9章。

    第3章で、ネズミが「長いお話(tale)」をするシーンで、アリスは「ほんとに長い尾(tail)ね!」と感想を漏らす。

    ダジャレ・言葉遊びなのだが、この「オハナシ」を「尾話」と訳すのは、これは本当にうまい訳ということになっていて、定訳といってもよい。

    GoogleIMEでも「尾話」で一発変換である。

    ウミガメ(turtle)なのになぜリクガメ(turtoise:トータス)かというと、先生はtaught us(トート・アス)だからに決まってんだろ、この薄らマヌケ! とか言われて、アリスはわけがわからなくなる。

    で、いま見た柳瀬訳は、「対蹠地」→「タイセキチ」→「退席地」という、ルイス・キャロルお得意の言葉遊びを適用してみた、ということなんだと思う。

    でも、「退席地」って、そもそも何が言いたいのか、意味不明だ。

    次に、全体的な訳としてはいちばん、一般的にオススメできる山形浩生訳を見よう。

    一般的にオススメできる、というのは、アリス初心者が、スラスラとすんなり読めて、がっつりゲラゲラ笑って読み通せる、という意味で、難しさを感じない、という意味。

    それってたとえば日本でいうとあるぜん人、だっけ――」(ここではだれも聞いてる人がいなくて、アリスはむしろホッとしたんだ。だってどう考えても正しいことばには聞こえなかったし)

    (山形浩生訳)

    この山形訳には、ちょっと感心した。

    というのは、これまで見てきた訳の解釈では、アリスが言い間違えたのは「対蹠地」を意味するantipodesだ、という立場のものが多かったからだ(楠山-芥川は「対蹠人」だったが)。

    もう一度、ここの問題を整理してみよう。

    • アリスは、言い間違いをした
    • The Antipathies, I thinkと言ってしまった(直訳は「反感、だと思う」となる)
    • 正しくはantipodean / Antipodes / antipodesのいずれかだ
    • イギリス人ならすぐに「あはは」と笑えるのに、日本人には「対蹠地」も「アンティポデス諸島」も馴染みがないため、なにが面白いのかわかりにくい

    「正しい言い方」としてありうる選択肢も、もう一度みよう:


    • antipodean [形](1)オーストラリア・ニュージーランド人の(2)対蹠地の;[名](1)オーストラリア人やニュージーランド人(2)対蹠地に住む人
    • Antipodes [名]アンティポデス諸島
    • antipodes [名](1)対蹠地(たいせきち)(2)対蹠地の一方

    これまで、アリスは本当は「対蹠地」(antipodes)と言うべきだった、という解釈の訳を見てきた。

    しかし、そうだろうか?

    いま、上に挙げた3つの「ありうる」選択肢は、日本語の感覚では別のものに見えるけれど、意味としては同じだ。

    「アンティポデス諸島」は、現在では、正確にはフランスの対蹠地であることがわかっているが、かつてはロンドンの対蹠地だと考えられてきたため、この名がついた。

    また、ようするにそこはオーストラリアかニュージーランドであり、そこの人、という意味で「オーストラリア人やニュージーランド人」という意味にもなる。


    ここで、河合祥一郎訳に対して設定した【仮説1】をひるがえし、【仮説2】を立ててみる。

    • アリスはThe Antipodean「対蹠人」と言うべきだった
    • でも言い間違えた
    • だから「対庶民」という似て異なる単語を割り当てよう

    ぼくの考えでは、河合訳は、この【仮説2】のプロセスで訳された。

    でも。

    まあ、これもわかりにくい。


    そこで山形訳である。

    「あるぜん人」。

    ああー、である。

    「アルゼンチン人」が「あるぜん人」になった。

    これで、日本人にもアリスがどういう間違いをして、何が面白いのか、伝わる。

    日本の対蹠地はアルゼンチン沖で、そこの人は(海だから人はいないけど)アルゼンチン人である。

    バッチリのような気もするが、でも「あるぜん人」という日本語はない。

    アリスが「言い間違い」をしたことは伝わるが、存在する言葉を「取り違えた」というところまでは訳せていない。

    いちおう、この辺で断りを入れておくと、アリスの「完璧な訳」をした人は、誰もいないし、そんなことは可能ですらない。

    その共有された前提を踏まえたうえで、ここでの比較検証は行われている。


    さて、最後、ユリイカの臨時増刊号に掲載された、柴田元幸訳を見よう。

    たいきょくけんっていうのよね、たしか――」(今回はだれも聞いてなくてよかったとおもいました。言ってはみたものの、なんかぜんぜん、それらしく聞こえなかったから)

    (柴田元幸訳)

    いやあ。

    柴田センセがこんなぶっとんだ訳をするとは、思ってもみなかった。

    ぼくはこれは、うまいと思う。

    「たいきょくけん」は、もちろん「太極拳」のことだと思う。

    で、Antipathiesが何の言い間違いかというと、まずはAntipodesととったのではないか。

    しかし、そもそもAntipodesは(日本人にとっては)わかりにくい言葉だ。

    ただ、それは「対蹠地」だの「アンティポデス諸島」だのと訳すからだ。

    「対極」とか「対極点」と訳せばいいじゃないか。

    あるいは、19世紀中葉のクイーンズ・イングリッシュ(まさにヴィクトリア女王の英語)を、いったん、21世紀の英語に翻訳する。

    antipodesの部分はantipole(対極)とでもなろうか。

    「対極」と言うべきところを、「たいきょくけん」と言ってしまった、というのは、原文にかなり忠実である。

    それに、「たいきょくけん」というときの「けん」は、「北極圏」とか「南極圏」の「圏」を喚起する。

    さて、偉そうにいろんな人の翻訳にあれこれ言ってきたけど、ぼくはこれをどう訳したのか。

    と思って、翻訳メモリ(OmegaTを使っている)を見てみたら、なんだか変な訳をしていた。

    えっと、アンチテーゼ、だったかしらね――」(今回は、誰も聞いていなくて本当に良かったですね。これはぜんぜん、正しい言葉みたいな感じがしませんでしたので)

    (斉藤私訳)

    はて(笑)。

    ぼくは何を思ってこう訳したのだろうか。

    まず、ぼくのアリス訳の方針は、「読者は大人だ」ということを想定している。

    なぜならどんなにうまい翻訳でも、日本の小中学生ぐらいの子どもがアリスを読むのは苦行以外のなにものでもないに決まっているのだから。

    だから、「白ウサギ」じゃなく「白兎」と訳しているし、「ウミガメモドキ」じゃなく「海亀モドキ」と訳している。

    アリスのセリフにも、容赦なく漢字を使う。

    7歳の子が読んだり書いたりできなくたって、口には出せるだろうから。


    さて、そこで、ぼくのこの箇所での翻訳プロセスはこうだ。

    アリスは本来何と言うべきだったのか。

    antipodesだろうが、antipodeanだろうが、あるいはantipoleだろうが、とにかくanti-で始まる単語だ。

    ところが、antipathiesという、それ自体は誤りのない単語だけど、適切でない単語を口にしてしまった。

    それがこの部分の面白さだ。

    だから、anti-で始まる、意味がほとんど違う(anti-という接頭辞で連想的に連関しているという以外は)、別の単語で、かつ、日本人もよく知っている単語がいいだろう。

    antipodesについては、大人が読むと想定してしまえば、「接頭辞がanti-である」というところから、「反対側」ぐらいの「元の意味」を想起してくれるだろう。

    ……たぶん、こんな感じで、「アンチテーゼ」を採用したんじゃないかな。


    いちおう、冒頭で河合訳を引用した2段落の、原文を載せておく:

    Down, down, down. Would the fall never come to an end! 'I wonder how many miles I've fallen by this time?' she said aloud. 'I must be getting somewhere near the centre of the earth. Let me see: that would be four thousand miles down, I think—' (for, you see, Alice had learnt several things of this sort in her lessons in the schoolroom, and though this was not a very good opportunity for showing off her knowledge, as there was no one to listen to her, still it was good practice to say it over) '—yes, that's about the right distance—but then I wonder what Latitude or Longitude I've got to?' (Alice had no idea what Latitude was, or Longitude either, but thought they were nice grand words to say.)

    Presently she began again. 'I wonder if I shall fall right through the earth! How funny it'll seem to come out among the people that walk with their heads downward! The Antipathies, I think—' (she was rather glad there was no one listening, this time, as it didn't sound at all the right word) '—but I shall have to ask them what the name of the country is, you know. Please, Ma'am, is this New Zealand or Australia?' (and she tried to curtsey as she spoke—fancy curtseying as you're falling through the air! Do you think you could manage it?) 'And what an ignorant little girl she'll think me for asking! No, it'll never do to ask: perhaps I shall see it written up somewhere.'

    (Alice's Adventures in Wonderland, by Lewis Carroll)

    関連記事
    スポンサーサイト
    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
    http://orangeprose.blog.fc2.com/tb.php/1756-d71aad14

    トラックバック

    コメント

    コメントの投稿

    コメントの投稿
    管理者にだけ表示を許可する

    Appendix

    counter

    FC2ブログ

    ブログ

    リコメンド




    ノートンインターネットセキュリティ


    ブログランキング

    QRコード

    QR

    メールで更新を受け取る



    提供:PINGOO!

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる