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    『シュメール神話集成』のこと

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    『筑摩世界文学大系1 古代オリエント集』(1978年)のうち「シュメール」の章を文庫化したもの。

    古書店で、単行本は1万円を超えるプレミアがついていて、入手が難しいため、貴重な文庫化だ。

    昨年、『文語訳 新約聖書』が岩波から文庫化されたが、今年は『文語訳 旧約聖書』が文庫化された。このことも画期的なのだが、旧約聖書で語られる神話の多くは、ユダヤの民が、古代オリエント世界を数世紀にわたって漂泊するあいだ、各地の伝承を自らのものとして取り入れつつ編集を加えたものが多い。

    なかでも有名な「洪水伝説」は、このシュメル神話が起源とされる。もしかしたら、起源のそのまた起源、なんてものもあるのかもしれないが、文字に残されているものとしては、シュメルのものが最古である。

    といっても、シュメル人がシュメル語で残したシュメル神話には、ほとんどアクセスできない。

    おおむねバビロニア諸王朝期にバビロン化されたテクストに、専門家たちは依拠している。

    ご存知のように、高校までの歴史の教科書において、初めて記される民族の名がシュメルである(ただし「シュメル人」はシュメル語を話す人のことで、厳密には民族の名ではない。後述)。

    メソポタミア(「川の間」の意)のような肥沃な土地に定住し、灌漑農業をし、都市国家を建設した――これらがすなわち「文明」の誕生とされる――業績に敬意を表し、歴史時代の冒頭に登場する。

    しかし、いまだ、教科書の記述は「シュメル(民族系統不明)」となっている。

    ようするにいわゆる「語族」がわかっていないわけだが、この「不明」というミステリアスな響きを備える単語と、歴史の教科書の冒頭に出てくるにも関わらずあたかも「突然に」高度な文明を発明したかのように見えることから、いまでも定期的に「シュメル人宇宙人説」が浮上する(今年も何度か、その手の話題の「まとめサイト」を眼にした)。

    シュメル人の高度な文明の例としては、60進法(いまでも時計に使われている)、太陰太陽暦(日本では明治5年まで使用されていた)、1週7日制(いまでも世界標準の制度だ)、灌漑農業(今の農業そのもの)、占星術、そしてなにより、人類最古の文字である楔形文字。

    しかし、教科書よりはやや詳しく解説している、ジュニア新書の中田一郎『メソポタミア文明入門』を読めばわかることだが、これらの発明は「突然」ではない。

    もともとメソポタミア上流域で焼畑農業と牧畜をしていた人々が、次第に中流域、下流域へと移り住み、その過程で灌漑農業を発明し、「トークン」と呼ばれる文字の原型を使うようになった。

    トークンは粘土を固めた小さな物体で、柔らかい粘土板の上にスタンプのように押して印付けるのに使われた。

    おそらく賃貸借契約書のような用途に使われたのだろう。

    そしてこれが楔形文字のルーツである。と同時に、数字のルーツでもある。

    シュメル人(という呼称はセム系のアッカド人が便宜的に使っていたもので、「シュメル人」という輪郭のわりあいはっきりした民族がいたわけではないらしい)はシュメル語を使っていたが、ウル第一王朝を征服したアッカド(セム系)のアッカド語とは異なる言語であることは確かのようだ。

    歴史教科書に最初に登場する個人の名前はアッカドの王、サルゴン(BC24世紀)だが、彼の時代のアッカド語は、楔形文字を用いて、粘土板に記されたようだ。

    これはつまり、楔形文字は、東アジアにおける漢字のようなもので、読みも文法も異なる諸言語に使用されたということだ。

    教科書的には、アッカドの後にウル第三王朝がきて(もちろん第二王朝もあったが、煩雑になるため教科書には掲載されない)、これを滅ぼすのがセム系アムル人による古バビロニア王国(バビロン第一王朝)。

    このときに、「シュメル人」は消滅したと考えてよいようだ。

    といっても、ひとり残らず殺し尽くして、殲滅したわけではなく、敗色濃厚になったら軍門に下り、ゆるやかに人々は溶け込んでいった。

    都市国家間の、あるいはそれに先行する部族間の戦争では、負けた側の神はいなかったことになるわけではなく、勝った側の神話体系の中に、形を変えて潜り込む。

    メソポタミアの宗教はヤマト政権以降の日本と同様、多神教であり、八百万の神がいた。

    日本で初めて文字化された神代記『古事記』にも、そうした諸部族の諸神話が交じり合っている様子が伺える。

    こう、長々と教科書的なおさらいをしてみても、実はまだまだ楔形文字は使われ続ける。

    シュメル語は、シュメル語を話す人々だけでなく、他のメソポタミアの諸部族に影響を与えた。

    ようはヘレニズム期におけるギリシア語、中世ヨーロッパにおけるラテン語のごとき役割を果たしたようだ。

    王の碑文まで、シュメル語で書かれたこともあったらしい。

    だが、上述したように、シュメル語を話す人々=シュメル人は民族系等不明であり、アッカドをはじめ、おおむねセム語系の民族が幅をきかせていた古代オリエントにおいて、その語を話す人は消えていった。

    そこで、おそらくアッカドの時代から、「シュメル文学」を記録し、残しておこうという気運が高まった。


    冒頭で、旧約聖書の洪水伝説の起源、と書いたが、「ギルガメシュ叙事詩」のことを思い浮かべた方も多いと思う。

    シュメルの半人半神(正確には3分の1人・3分の2神)の王ギルガメシュの名は、この『シュメール神話集成』にすでにあるが(ギルガメシュは実在した王である――神話化されて、半人半神となったのだろう)、「ギルガメシュ叙事詩」としてまとめられたのは、幾つもの言語・方言による翻訳を経て、かつ編集・意訳を経たものである。

    我々が(専門家の手によって日本語に翻訳されたものとして)通常手に取ることができるものは、アッシリアのアッシュールバニパル王が建設したことで有名な、ニネヴェの「アッシュールバニパルの図書館」で発見されたものだと思う(アッカド語版)。

    他にも古バビロニア版、中期バビロニア版などがあるようだが、いずれにせよ、シュメルに伝わる断片的なギルガメシュ王伝説を編集・再構成したものだ。

    その過程で、「洪水伝説」も「ギルガメシュ叙事詩」に組み込まれたと思われる。

    もうひとつ、『旧約聖書』の「創世記」における、神による人間の創造神話への影響も重要だ。

    聖書では、というか西洋では一般的に、人は土から作られたとされる。土からアダム。アダムの肋骨からイブを作った。

    humanのhumとは「土」の意である。

    シュメル神話でも、多くの場合、人は土から作られたとされている。

    だが、この『シュメール神話集成』の冒頭に収められている「人間の創造」という神話では、神の血から人は作られたとされている。

    これはシュメル神話のなかでも、例外的なものらしい。

    聖書では、神が人を作った目的は、動物の上位におくことであったが、この「人間の創造」では、神々に代わって仕事をし、神々に奉仕させることにあった。

    本書「解説」によれば、おそらくこれはバビロニア風に書き換えられた反映だとしている。


    主に『旧約聖書』との関連で本書の概要を見てきたが、ヘブライ人、つまりユダヤ人(イスラエル人)は、古代オリエントといっても、地中海東岸に居を構えた(それまでは遊牧民)民族である。

    彼らにメソポタミアの神話が影響を与えたのは、おそらくは新バビロニア(バビロン第十王朝)のネブカドネザル2世が行ったバビロン捕囚(BC607~BC537)。70年間の移住・漂泊に際して、バビロンの文化を吸収し、自らの神話に組み込んでいったのだろうと言われている(『メソポタミア文明入門』)。

    ユダヤ人のバビロン捕囚については、『旧約聖書』のいたるところに記されている。

    ちなみに映画『THE MATRIX』において、モーフィアスが船長を務める船の名は、「ネブカドネザル号」である。


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