Entries

    【立冬】【小春】歳時記シニフィアン

    • 冬立ちぬ後背位のみ求めけり 拙句
    LPガス

    今日(2015年11月8日)は、二十四節気でいう「立冬」で、暦のうえでは、昨日までが秋、今日から冬、ということになる。

    角川の『俳句歳時記』――これは文庫版が便利で、ぼくも角川ソフィア文庫のものを持っている――の「冬」の巻に、【立冬】が冬の季語として掲載されている。

    【立冬(りつとう)】冬立つ 冬に入る 冬来(きた)る 冬来(く)る 今朝の冬

    (角川学芸出版編『俳句歳時記 第四版増補 冬』)

    ※この記事では、振りがなを括弧に入れるなどして補うことにする。以下同様。

    • 柴垣を透く日も冬に入りにけり 久保田万太郎
    • 冬来る稲佐の浜の流砂飛砂 和田順子

    角川の『俳句歳時記』は、一般的な、総合的歳時記なので、「立冬」を載せているが、山本健吉『基本季語五〇〇選』にはない(これは名著。和歌・連歌・俳諧・俳句と順を追って説明していて、勉強になる。藤田湘子も勧めていた)。

    山本『基本季語』には【立春】【立秋】はあるが、「立冬」「立夏」がない。

    また【行く春】【行く秋】はあるが、「行く夏」「行く冬」はない。「行く春」「行く秋」には春や秋を惜しむ気持ちが込められており、【春惜しむ】【秋惜しむ】なども同様の意味である。惜しむに値する季節は春と秋だということだ。ただし、「行く冬」は【行く年】の意味で使われれてきた。一年は振り返ったり惜しんだりするに値するということだろう。いずれにせよ、新暦を使っている現代では、歳末を過ぎても冬は去っていないので、「行く冬」という季語はない(角川版にもない)。角川『俳句歳時記』には【冬終る】があるが、これは「北国では長かった冬が去っていくという安堵」を表した季語。

    山本『基本季語』には、【春近し】【秋近し】も同じ意味合いから掲載されているが、【冬近し】【夏近し】はない(これらは角川版にはある)。


    では、初冬、つまり立冬以降の一月を示す「時候(時節・暦日)」の季語はないものかと、山本『基本季語』をみると、【小春】があった。

    ※ちなみに角川『俳句歳時記』には、いわゆる四部門の分類(三・初・仲・晩)がない。ここだけ不便なところだと思う。おそらく近いうちに次の版が出るだろうが、ぜひとも部門分けを導入して欲しいところだ。便宜的に、インターネットで活用できる「きごさい歳時記」の「冬の季語」の欄と照らしあわせると、初冬(立冬から大雪の前日まで)の季語として【初冬(はつふゆ)】【神無月】【十一月】【立冬】【冬浅し】【小雪】【小春】【冬めく】【冬の日】が、角川『俳句歳時記』の「時候」の欄にある。


    閑話休題。【小春】について。角川『俳句歳時記』にはこうある。

    【小春】小春日 小春日和 小六月(ころくぐわつ)

    小春・小六月ともに旧暦十月の異称。小春日・小春日和は、立冬を過ぎてから春のように暖かい晴れた日のこと。「小春風」「小春凪」「小春空」などとも用いられる。

    (角川『俳句歳時記 増補第四版 冬』)

    山本『基本季語』にはこうある。

    小春 小春日・小春日和・小六月・小春凪・小春空

    陰暦十月の異称であるが、そのころは雨風も少なく暖かい日和がつづくので、小春日・小春日和などと言い、また小六月とも言って称美する。『徒然草』に「十月は小春の天気」(百五十五段)とあるから、中世から使われ出していた。春に対して、小春、すなわち小さい春というのは、初冬のころ春がまた甦ったような温暖な日々がつづくので、こんな可憐な名がつけられた。農村で「田植布衣(ぬのこ)に麦蒔はだか」と言う。田植の五月には、布衣を着なければならないほど寒い日があるが、麦蒔の十月には裸でいてもよいほど暖かい日があるという意味。

    (略)

    山本健吉『基本季語五〇〇選』
    • 草山の重なり合へる小春かな 夏目漱石
    • 猫の眼に海の色ある小春かな 久保より江
    • 小春日や木菟をとめたる竹の枝 芥川龍之介
    • 小春日や孤りかたぶく十字墓 石田波郷
    • 小春日や墓の一基に腰おろし 高柳重信

    ※木菟=ずく、孤り=ひとり

    高柳重信は、ぼくが二番目か三番目か四番目ぐらいに好きな俳人なのだけど、山本本にこの例句があって、どうしてこんな「普通の」句を詠んでいるんだ、例によって晩年に日和ったのか、あるいは昭和24年以前の初期のものなのか、と訝しんで調べたら、これは1980年に発行された、山川蝉夫という別人格が書いたという体裁の『山川蝉夫句集』所収の句だった。やはり高柳は晩年までピークを維持していたようで、安堵した。


    川上弘美の第一句集『機嫌のいい犬』を読んでいたら、「小春」が詠み込まれた句が3つあった。

    • 小春日の文庫本読むサンタかな 川上弘美
    • 家ぢゆうの鏡みがける小春かな 川上弘美
    • 小春日の箒の穂先成長す 川上弘美

    「サンタかな」の句は1996年。【サンタクロース】も季語だが(【クリスマス】の傍題*)、初冬の「小春日」と仲冬の「サンタ」でどちらが主季語かといえば、これは圧倒的に「小春日」だと思う。

    *「傍題」と角川『俳句歳時記』には書いてある。たとえば「小春」という「見出し語=季語」に対して、「小春日・小春日和・小六月」は「傍題」、という位置づけなのだが、辞書的な意味はそうではない。これは俳句の世界では常識的なことなのか、よくわからない。

    閑話休題。切字の「かな」が「サンタ」についているため、強調されているようにも見えるが、中七で「文庫本読む」と「サンタ」を説明していることから、「サンタ」を主季語としてではなく点景として使っているように思う。なにより、もしも「サンタ」が主季語であるなら、大忙しであるはずで、文庫本などのんびり読んでいるはずはないだろう、と推測できる。いよいよ来月になればクリスマス本番で、11月にはその準備でそこそこ忙しいであろうサンタクロースも、小春日和には、文庫本などを読みつつ息抜きをしているのかもしれない。

    あるいは、この「サンタ」は――この句が詠まれた1996年には川上はまだ離婚していないので――彼女の夫(だった人)かもしれない。翌月のクリスマスに、子どもへのプレゼントをどうするのか、などと相談した翌日、夫が小春日の中、読書をしている。その姿に、昨晩の相談内容からサンタクロースが連想された。でもこの解釈だと、少し甘すぎる気がする。サンタクロースという西洋的人物が、文庫本という日本的事物に接しているという、超現実的光景が、小春日という非常にどっしりとした主季語を背景にすることで、まとまっている――と個人的には解釈したい。


    ところで、冬の代表的な季語に【冬ざれ】がある。冬の万象の荒れさびた感じのことである。

    が、これは元々「冬さる」だったものが、「已然形+ば」の形の「冬されば」が中世の読みぐせから「冬ざれば」になり、「冬ざれ」に誤用されたものだ。

    「さる」は、たぶん高校古文の授業で散々「現代語と意味の異なる語」として叩きこまれたと思うのだが、「やってくる」の意味である。つまり「冬さる」は「冬がやってくる」の意味(というか、たんに「移動する・移行する」の意味なので、「去る」と書き、「来る」意味でも「離れる」意味でも使う)。

    古語辞典などをひくと、季節の推移の順番としては「立つ」「さる」「闌く(たく)」「更く(ふく)」「果つ」となる、と書いている。「たく」は「たけなわ」の「たけ」で、真っ盛りの意味。

    なので、「冬さる」で初冬の季語として残ってくれていたらよかったのに……と思わないこともないが、「冬ざれ」はこれはこれで面白い季語なので、別の機会に、「冬ざれ」についての記事を書こうと思う。


    関連記事
    スポンサーサイト
    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
    http://orangeprose.blog.fc2.com/tb.php/1703-2e4791f5

    トラックバック

    コメント

    コメントの投稿

    コメントの投稿
    管理者にだけ表示を許可する

    Appendix

    counter

    FC2ブログ

    ブログ

    リコメンド




    ノートンインターネットセキュリティ


    ブログランキング

    QRコード

    QR

    メールで更新を受け取る



    提供:PINGOO!

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる