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    「 #本棚の10冊で自分を表現する 」

    book list

    ぼくに現れている主要な症候は「ブックリスト作成症」ともいうべきもので、ここ1ヶ月強のあいだは「人生に決定的な影響を与えた50冊」というリストを作っている。

    Twitterで「#本棚の10冊で自分を表現する」というハッシュタグが最近流行ったが、ちょっと乗り遅れた。

    とはいえ作成症は抑えられないので、とりあえず作ってみた。「50冊」と丸かぶりになるのではないかと予想していたが、7~8割しかかぶらなかった。

    位置づけとしては、「50冊」は自分のために作っていて、「10冊」は自己紹介の意味で作ってみた。この10冊でぼくを完全に代理させることはできないけれども、かといって社交的な自己呈示でもなく、つまり欺瞞は可能な限り含めず、いちおう最低限共有しておきたい情報、という程度のものである。最低限の情報を共有したら、さっさと仕事を進めましょうか、という程のものだ(つまり、自分はひとからどう見られたいのか、という関心ではなくて、どう実際的に世界とネゴシエートしているのかということに関心を寄せることにした)。

    10冊をどういう順番に紹介していくか、というのも、悩ませるポイントだけど、できるだけ読んだ時系列に沿うことにした。といっても、記憶が曖昧で、とくに20代の記憶がスッポリ抜けているのでその辺は曖昧である。読んだ、というのも、初めて読んだ時期というより、現在の自分を強く規定している読書時点、を念頭に置いた。


    1 村上龍『限りなく透明に近いブルー』

    中学生のときに読んだ。ぼくが選ぶ「人類が書いた『小説』ベストテン」の第1位に、おおむね常に、位置している。

    中高生のときに(1986~1992年)、W村上の小説がなかったなら、ぼくの人生はまったく退屈なものになったに違いない。他人から見たらいずれにせよ退屈なものに違いないが、ぼくが「個人的に」自分自身の人生に関わりあうという観点からすれば、やはりW村上の恩恵を第一に考えなければならない(もちろん、個人的にといっても、村上春樹・村上龍という他者の固有名が介在しているわけで、「まったく完全に個人的に自分の人生と関わる」なんてことは不可能だけれど)。

    『ブルー』は折にふれて、繰り返し読んでいるが、初読のときに得られたカタルシスが最も大きかった。また、「以前はあんなに面白いと思ったのに」という落胆も体験したことがある。その数年後にまた読み返して、面白さを再確認するという反復に取り憑かれている。

    龍なら『コインロッカー』とか『トパーズ』とか、最近だと『半島を出よ』のようなもっと多くの人々にカタルシスを与えた(けっして「万人受け」という意味ではないけど)作品があるではないか、と言われそうだが、個人的な体験として『ブルー』体験は代替不能である。

    春樹なら『蛍・納屋を焼く・その他の短編』『パン屋再襲撃』『TVピープル』などがいまのぼくに決定的な影響を与えているけれども(ぼくは『1Q84』さえも非常に面白いと思った)、この「10冊」リストには入れないことにした。


    2 レイモンド・カーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』

    高校生の時には(1989~1992年)ご多分に漏れずサリンジャーきっかけでアメリカ現代文学にハマったのだが(受験生のとき、大学は英米文学科を志望していた)、そういう流れで、もっとも好きになった小説家がカーヴァーだった。たぶん、大学生のときに、村上春樹訳で読んだ。今でも、一番好きな小説家はレイモンド・カーヴァーだと思っている。

    初めて読んだのが、春樹によるアンソロジー(たぶん、そうだと思う)『ぼくが電話をかけている場所』(中公文庫)で、そのなかでも「ダンスしないか?」という短編が衝撃的で、あやうく(?)「人類が書いた『小説』ベストテン」の第1位の座を、『限りなく透明に近いブルー』から奪ってしまうのではないかと思われた。じっさい、一定期間、「ダンスしないか?」が1位だった。

    で、「ダンスしないか?」は本来は、というか、カーヴァーの単著としては『愛について語るときに我々の語ること』という短編集の一篇なのだが、カーヴァーという作家は、初出の雑誌掲載の作品に次から次へと手を加えるタイプの作家で、おそらく『愛について』に収録されている「ダンスしないか?」と、『電話を』に収録されている「ダンスしないか?」は、非常に細かい部分で異なっているのではないか。確認はしていないけれど、たぶん、そう思う。

    また、村上春樹の翻訳も、中央公論新社の『カーヴァー全集』に手を加え、『翻訳ライブラリー』のバージョンはまたちょっと違っている。

    そんなわけで、『電話を』の「ダンスしないか?」と『愛について』の「ダンスしないか?」は、(確認していないので確たることは言えないのだけれど)別物になっている(と思う)。

    ぼくに与えた衝撃が大きかったのは『電話を』の初読の時がピークで、『愛について』で読み直したらそれほどでもなかったので、落胆した。しかし、数年前に読みなおしてみたら、やはりこれはとても面白かったので、じっさいには、文字通りにはそれほど大きな違いはなくて、ぼくの側の個人的な問題だったのかもしれない。


    3 江戸川乱歩『江戸川乱歩(ちくま日本文学 7)』

    「一番好きな小説家」を挙げたついでに、「一番好きな日本人の小説家」である江戸川乱歩を挙げておきたい。「一番好きな小説家」はレイモンド・カーヴァー、そのランキング表に「日本人の」という条件を加えると、トップに来るのが江戸川乱歩。

    初めて江戸川乱歩を読んだのがいつだったか、記憶にないが(小中高のときではないのは確かだ)、「押絵と旅する男」が最高だ。

    他には「人間椅子」「鏡地獄」「二銭銅貨」「屋根裏の散歩者」などを読むべきかと思うが、この『ちくま日本文学 7』にはそれらが入っている。岩波文庫版の『短篇集』にも入っている。新潮文庫版の『傑作選』には入っていないからダメだ。

    亡くなったのが1965年だから、TPP基準の著作権法が施行される前であれば、来年(2016年)の1月1日にパブリックドメインに入る。青空文庫で読める日がくるだろう。そういえば同日に、谷崎潤一郎の作品もパブリックドメインに入る。


    4 根本敬『因果鉄道の旅』

    たぶん、大学生のとき(1993~1998年)に読んだ。友人が、個人的に配って歩いていた。布教だ。彼にもらって、読んで、ぼくも衝撃を受け、ぼくも買った。買ったものは、やはり布教のために配った。でも、ぼくらが布教するまでもなく、すぐに、誰もが本棚に本書を置いている、という時代が訪れた。

    根本敬の『亀の頭のスープ』『怪人無礼講ララバイ』『豚小家発犬小屋行き』のような大河漫画もすばらしいのだが、何か一冊代表作を、といわれれば、やはり『インテツ』である。『ディープ・コリア』もよかったけれど、やはり、こっちだ。

    「内田研究」もすごいし(内田剛史という人物――根本の大学の同級生だったかな――について、根本らはミニコミ誌までつくっている)、なんといっても尹松淑(ユン・ソンスク)さんについての圧倒的なまでのドキュメンタリが、なんといっても、とにかく、圧倒的である。

    尹さんのインタビュー中、もっとも尹さんがノリにノッて自らの武勇伝を語るページには、観音折りの特殊ページ構造が採用されていて、読者のテンションもそのめくるめく展開する絵巻物のような大河ドラマ的巨大神話を前にがぜんピークを迎えざるをえないのだが、なんと幻冬舎文庫版では、いっさいのイラスト・図録が省略されているらしい! なんという無神経さ!

    ぜひとも、古本でよいので、原典にあたってもらいたい。


    5 柄谷行人『探求I』

    大学生のとき(1993~1998年)に読んだ。以来、柄谷行人の著作を貪るように読んだ。ぼくの東京時代(1993~2009年)は柄谷行人の書作を読むための期間だったと言ってもいい。

    柄谷行人を読むまでは、ぼくは「考える」ということがいかなることなのか、知らなかった。柄谷を読んで、「考えているつもり」で考えていなかった自分を恥じ、過去の著作に遡って読んではまた恥じ、と、一生分の羞恥心を使い果たしてしまった気がする(いまは恥知らずなのかというと、まあ、そういう部分もあるし、よりいっそう恥じているとも言える)。

    柄谷の書いたものは、過去のものほどすごいのだが、つまりデビュー以前の初期論文や、デビュー直後の文芸批評のキレッキレの思考がたまらないわけだが、そしてなおかつ、柄谷行人を前期と後期にわけるとすれば、『探求』を境に分けられるわけで、柄谷から一冊選択するのに『探求I』を挙げるのはほんらいは恥ずかしいことなのかもしれないが、今思えば、やはり初めて読んだ『探求I』に、きわめて個人的な転回を促されたことは否定できない。

    たぶん、ぼくは、柄谷を読んだことで、「考えることこそが、快楽をもたらすのだ」という真実を目の当たりにしたのだと思う。映画『MATRIX』におけるレッド・ピルの機能を果たしたのが、この本だ。そのまま大学院に進むことが当たり前の前提になったのは、いうまでもない。


    6 竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』

    たぶん、大学院生のとき(修士1998~2000年、博士2003~2009年)に読んだ。

    とにかく、初読の感想は、「なんだこれは、ぼくの感じているつらさが、すべて文章になっているではないか!」という驚きだった。

    しかし、現時点では、なんというか、むしろ、ぼくの感じていた「つらさ」(=症候)を増強していたのはいかなる欲望だったのか、ということに関する事態だったとわかる。つまり、一言で言うなら、【コミュニケーションにおける身体の神秘化】である。さらには【コミュニケーションの神秘化】にも、短絡される。

    この辺は、ややこしいので、説明するのがめんどうになるけれども、可能な限り丁寧に説明してみようと思う。

    まず、ぼくの人生における、10代・20代・30代(1984~2013年)の「つらさ」は、コミュニケーションに関係していた。じつに、30年間ものあいだ、コミュニケーションに悩んでいたのだ! アホらしいといえばアホらしいのだけれど、そういう若い日本人は多いだろうし、そういう悩める若人に何らかの形で手助けをすることは、ぼくのライフワークになるだろうから、やはりまじめに丁寧に考えてみたい。

    竹内敏晴の身体論は、たしかに、のっぴきならない、切実なものである。「間身体性」などといって(竹内も言っていたかもしれないけれど)現象学的に哲学してみたり、演劇してみたり、ダンスしてみたり、パフォーマンスしてみたりする下衆な連中は全員爪の垢を煎じて飲まなければならない。が、竹内が我々にもたらしたのは、解放ではなく、むしろ「コミュニケーションは身体に根ざしており、身体に根ざしたコミュニケーションは真正なものだ」という幻想である。幻想にとらわれると、なにしろそれは幻想なのだから、手に入れることができず、つらさが増強する。

    じっさいのところを暴露すると、こうだ。

    コミュニケーションに「真正」も「偽物」もない。端的に、生じるだけだ。それが「身体に根ざす」というのは程度問題である。いかなる身体性も関与しないでは、コミュニケーションは成立しないが、逆に身体にのみ根ざしたコミュニケーションもありえない。

    もう一方で、というか重要度で言えばこちらのほうが上なのだが、コミュニケーションに関与するのはシニフィアン・システムである。といっても、これも「程度問題」である。シニフィアン・システムをコミュニケーション関与者が「共有する」という事態はありえない。ここでシーニュ・システム(記号体系)と言わずにシニフィアン・システムと言っていることに注意して欲しい(シニフィアン・システムの重なりあいを「共有」と呼びたければ呼んでもよいが、あまり意味は無い。シーニュ・システムは共有されるのではなく、共有しているという幻想が機能するというだけである)。「石板」と言った時に、一方は石でできた板を意味し、他方は建築資材であれば何でもよいと意味したとしても、コミュニケーションは生じる(不都合があれば、修正すればよいだけだ)。ここにあるのはシニフィアン・システムの「ある程度の重なりあい」でしかない。

    用語説明:動詞signifier(英語で言えばsignify)の現在分詞がsignifiant(シニフィアン;英語で言えばsignifying)で、過去分詞がsignifié(シニフィエ;英語で言えばsignified)、シニフィアンとシニフィエのセットのことをシーニュ(記号)という――Wikipedeiaにも「シニフィアンとシニフィエ」という項目が立っているので説明は以上。

    さて、身体性を「ある程度」関与させることができ、シニフィアン・システムを「ある程度」関与させることができれば、原理的には、コミュニケーションは問題なく生じる。

    ただ、コミュニケーションにまつわる「つらさ」やら「問題」やらが浮上するのは、たんに「生じる」だけでは我々は満足しないからである。これも程度問題でしかないのだが、濃密さや強度、といったものが追い求められることになる。

    なぜそうなのか、といった問題は、ややこしくなるので、棚上げするが、もしもこの文章を読んでいるあなたなり、あなたの友人なりが、コミュニケーションに「つらさ」を感じているとしたら、いかにして「つらくない」状態に移行できるのか、というポイントだけ、伝えておきたいと思う。

    まず、身体性は、ある程度、必要である。たんに必要十分でないというだけであって、必要であることには変わらない。ただし、いかなるコミュニケーションであっても「真正」なコミュニケーションにしてしまうような、神秘的な身体性は、ない。これはたんに、発声練習をしなさい。具体的には、「外郎売」を1日30分程度、練習しなさい。できれば歩きながら。やみくもに練習してもダメである。口腔共鳴と咽喉腔共鳴を意識しなさい。「エセ・オペラポジション」と「エセ・ホーミー」を(「エセ」でかまわない)練習しなさい。1ヶ月程度で、喉のあたりで共鳴する感覚をつかめると思う。

    おそらく、身体性が神秘的なものとして感受されるのは、身体は身体であるがゆえに、身体的にしか身体性を習得できないからである。つまり、体で覚えるしかないからである。

    で、身体の関与は、この練習を1ヶ月もやれば、誰でも習得できる。野口体操も、鴻上尚史メソッドも必要ない。やってもいいけど。

    女性は、できれば地声とファルセットの両方を練習しなさい(これもたんに社会的な習慣にすぎないのだけれど、「自在に使い分けられる」と、コミュニケーションが自由を獲得したような「感じ」を得られる)。

    次に、シニフィアン・システムについては、これといって決定的な習得方法はないのだが、逆に言えば、どこから学んでもかまわないということになる。

    個人的には、齋藤孝の本より、野口敏の会話入門書がよいと思うが、齋藤孝が好きな人がコミュニケーションに悩むことはないと思う(偏見だけど)。それから、ラジオやテレビで話している誰かの言葉をリピーティングまたはシャドウイングしてみるとか。これも人それぞれ、だとしか言いようがないが、就活以降の大人であれば、アナウンサーの語りをモデリングするのは有効だと思う。が、コミュニケーションに悩む、というのは、そういうことではないだろうとも思う(コミュニケーションしたい人は、アナウンサーのようにとどこおりなく話せるようになりたいわけではないだろうと思う)。好きなお笑いタレントをモデリングするのはある程度有効だが、入れ込みすぎると、摩擦が生じる。一時期の松本人志なんかは、モデリング対象にしてしまうと、ドツボにはまってしまうが、もう、松本人志レベルのお笑いタレントは出現しないだろうから、まあ、好きにやればいいような気もする。

    シニフィアンを身につける、というのは、言い換えれば語彙セットを習得することだが、ようするに「どの状況・どのシーンに参与したいのか」というターゲットを絞り込んでいないことには、どの語彙セットを身につけるべきなのか、判断できない。嫌なことを言うようだが、最低1年は、キツい思いをすることを覚悟すべきだと思う。端的に言えば「浮く」ことを覚悟して、試行錯誤するしかない。逆に言えば、試行錯誤しながら「浮く」覚悟さえすれば、どんな状況にも参与できるだろう。

    理屈で補強することも、ある程度可能だ。これはミルトン・エリクソンの語り口を学べばよい。エリクソンといってもエリックじゃなくてミルトンのほう。NLPのようなうさんくさい方面から、ジェイ・ヘイリーのような戦略派の家族療法や、スティーヴ・ド・シェイザーやウィリアム・オハンロンのようなソリューション・フォーカスト(ないしオリエンテッド)な短期療法に代表される、オーソドックスな方法論まで、さまざまである。いずれにせよ、エリクソニアンが重要視するのは、シニフィアンといっても、「ゴーヤ」と言うのか「苦瓜」と言うのか、という違いではなく、フレーズ(文)のモーダリティ(様相・法;「~です」と言わずに「~かもしれませんが」と言うとか)の違いだから、やはりエリクソニアン的なアプローチを、「どのシーン・状況・コミュニティで使うのか」を、別途考えなければならない。

    と、まあ、「伝えておきたい」と言いながら、なんとも伝えきれないまどろっこしいことしか言えていないのではあるが、ぼくもがんばったし、君もがんばれよ、というところである。


    7 あずまきよひこ『よつばと!』

    博士課程のとき(2003~2009年)に読みはじめて、まだ、連載が終わっていない。

    美しく、無垢で、とぼけていて、平和で、面白い。懷かしく、泣けて、泣ける。

    今この文章を書いている時点で、12巻まで刊行されている。やはり、この作品も、「ここではない、本来的な場所」を希求するように機能してしまっていると思う。むかし、『ちびまる子ちゃん』が「これって、あたし」という少女マンガの文法を使って、ほんとうは全然これってお前のことじゃねーよ、という世界観を見せてくれたけれども、『よつばと!』のキツい所は、絶対に自分のことではないのに、自分以外の世界のあらゆる所はこういう世界なのだ、という幻想を抱かせてしまった点にある。

    それでも、ぼくは自分が生きている間に『よつばと!』に最終回が訪れるぐらいならば死んだほうがマシだと思っているし、絶対にそんな事態は避けなければならない。

    そこまで頑丈には、ぼくらはできていないのだ。


    8 長岡克行『ルーマン/社会の理論の革命』

    ぼくの人生をひとつの単語で言い表すなら「挫折」である。これは自己紹介なので、よければ覚えておいてください。

    何に挫折したかって、いろんなことに挫折してきたけれど、ぼくは社会学者になりたくて、大学院でニクラス・ルーマンというドイツの社会学者の研究をしていたのだけれど、結局アカデミックポストに就くことができなくて、35歳(2009年)で都落ちして、実家に戻ってきた。そこで一度、人生が終った。ぼくは一度死んだのだ。

    石川啄木に「石をもて 追はるがごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし」という歌があるけれども、ぼくはふるさとを「石もて追われ」、東京へ行ったはいいが、やはり東京からも「石もて追われ」、追い出されたはずのふるさとに戻ってきたのである。ふるさとといっても、そこは石をもってぼくを追う場所なのであり、ぼくはひっそりと身を隠しながら生きていかなければならない。

    それはともかく、どうして挫折してしまったのかというと、これは単純に能力がなかったからで、そうすると挫折といってもたんに現実がわかるまで35年かかったのだとしか言いようがなく、救いようもないが、まあ、別に救いがないからダメということもないし、いや、別にダメであってもイイのである。

    で、なにか言い訳をするなら、長岡先生がこんな大著を書いてしまって、ぼくなんかには、もう何も書くことは残っていないのである。そもそも、ぼくに何か「言いたいこと」があるとすれば、それはすでにルーマンが書いているのだし、それをお読みくださいとしか言うことがない。

    博士論文なんていったって、ルーマンがあの著作とこの著作でこう言っています、以上。ぐらいしか、ぼくには言いたいことがないのである。

    ルーマンは、人々が読めるスピードよりも速く、大量に書いたので、日本で読むとすれば非常に大変なことになるのだが、この長岡『革命』と、『GLU』というルーマン用語集を片手に、馬場先生がジャンジャン優れた邦訳を出しているところなので、だんだん、読む環境は整いつつあるのではなかろうか。

    とまれ、「挫折挫折というけれど、楽しそうに生きているではないか」と言われれば、そうですねとしか言いようがないけど、ルーマンを読む以上の快楽がこの世にあるわけがないのだから(これはもちろん、きわめて個人的なことだけれど)、死後の世界を、相対的にそこそこ楽しいことをやって、暇つぶしをしてやりすごすしかないのである。


    9 小島剛一『トルコのもう一つの顔』

    これはわりと最近読んだ本。

    ニュース、といっても国内の新聞やテレビと、欧米のものでは、まるで伝えようとする世界が異なっているから、同じ「ニュース」というシニフィアンで代表させることがはばかられるとはいえ、いちおう、現時点で、ニュースが主題にしているのは中東の情勢、とくに難民を大量に生み出しているシリア、それに隣接するトルコ、イラク、ようするに「イスラーム国」がひとかみしている地域であるといえる。

    で、一昔前の「中東問題」といえば、これはパレスチナ問題のことだったのだが、パレスチナはパレスチナで複雑だけれど、もっとさらに複雑でどうにもならんやろこれは、というぐあいにシリアは混迷を深めている。

    なかでもクルドの問題に注目したい、と思って、基本文献ともいえる本書を手にとったのだが、これがすばらしい。

    小島剛一氏は、言語学者で、フランスに在住し、トルコの少数民族の言語を研究している。『再構築した日本語文法』という日本語の研究書も書いている。

    本書は、小島氏が初めてトルコを訪れた1970年以来の実体験を綴ったもので、このきわめて複雑な地域を、その複雑さを損なわないまま、とても興味をもたせる筆致で記述している。

    ぼくは当然(?)クルド人に肩入れしているわけだけど、筆者がはじめてトルコを訪問したときの、信じられないぐらいの人々の親切さには、掛け値無しにほっこりさせられる。「掛け値無しに」というのは、「こういう親切心の裏で、じつは非常に残虐な国がトルコで」みたいな、裏を読む態度なしで、という意味だ。

    これは本当に面白い本だから、みんな読むといいと思う。


    10 ジャック=アラン・ミレール編『ジャック・ラカン 対象関係』

    ラカンのセミネール第4巻。

    ぼくの世代にとって、ラカンはとても不遇な存在だったと思う(そうでない世代があったのか、知らないが)。

    まず浅田彰が『構造と力』(1983年)でラカンを「構造主義のリミット」と位置づけた。ぼくは1974年生まれだから、流行としてのニューアカとかは、まったく知らない。『構造と力』は、大学生のときに、純粋な参考書として読んだ。きわめて説得的に、「ラカンは構造主義者だが、こういうリミットがある。ゆえに、ポスト構造主義の議論へ移行しなければならない」と語られていた。超、ざっくばらんに要約すると、だけど。

    ぼくが大学生のときに、東浩紀が『批評空間』でデリダ論を連載していて、これはめちゃくちゃ面白くて、熱中して読んだ。ぼくが修士課程のときに(1998~2000年)、東のデリダ論は『存在論的、郵便的』(1998年)として単行本にまとめられ、ラカンは脱構築の〈第一段階〉へと切り下げられた。そこで問題になっていたのは「デリダはなぜ、その仕事の中期に、ああいった読解を拒むような、特殊な文体を採用したのか」という問いだったと思うが、これも超ざっくばらんに要約すると、〈ゲーデル=ラカン的脱構築〉の否定神学的な形式を逃れ、「郵便空間的=精神分析的な脱構築」ともいうべき〈デリダ=フロイト的脱構築〉を模索していたから、となる。

    とはいえ、東の結論は、デリダの模索した郵便的脱構築は、コンスタティブには成功したけれども、パフォーマティブにはやはり転移を引き起こしてしまい、失敗だった、というものではなかったかな。たぶん。今読み返したらぼくの記憶が間違っているかもしれないけれど。

    『存在論的、郵便的』は、その論述のスタイル(きわめてコンスタティブに書かれており、まるで、デリダを論じているのではないかのように感じられた)が魅力的であったこともあって、強い影響を及ぼした。ぼくも例外ではなかった。いや、もしかしたらぼくだけが影響を受けたのかもしれないけれど。とにかく、ラカンを読むということは、ラカンを通してフロイトを読む、ということを意味してしまった。ラカンも、ほら、「フロイトに帰れ」と言っていたし。とにかく、ラカンを読みながらも、それはフロイトを読むことにつねに結び付けられなければならないという事態になってしまった。

    でも、これはまずかった(いや、それなりに意義はあったのだけど)。第一、ラカンの「フロイトに帰れ」は、当時のフランス(1950年代)で分裂の危機にあったパリ精神分析協会に対する政治的な発言だったわけで、この文脈を無視することはできない。第二に、ラカンの意図は、精神分析における転移を、精神分析の重要なリソースとすることであり、また、「正しく」フロイトへの転移へと、方向付けすることにあった。これはラカンが誠実でなかったとか、責任逃れをしたということではない。じっさい、ラカンの晩年・死後には、継承者をめぐってきわめてスキャンダラスないざこざ、分裂が生じた。そういうトラブルを、一身に負う覚悟があるがゆえの「フロイトに帰れ」なのだ。

    などと解説めいたことをつらつら書いてきて、ラカンに関心がない人にはなにをゆってんだかさっぱりわからんよ、ということになるのだが、ようは、ラカンを落ち着いて読む環境が、皮肉にも、今になってようやく整いつつある、ということだ。こんなことはぼくの個人的な環境にすぎないかもしれないけれど。

    何年か前に、斎藤環が『生き延びるためのラカン』(2006年、文庫化2012年)という馬鹿みたいにわかりやすいラカン入門書を書いて、ラカンがこんなにわかりやすくていいのかなあ? と戸惑ったのを覚えているが、もうひとつ、樫村愛子が『ネオリベラリズムの精神分析』(2007年、Kindle化2014年)という「ラカン派社会学」を書いていて、これはじつは「第一次安倍内閣」を批判するものだったのだけど、2014年にKindle化されて、奇しくも「第二次安倍内閣」への批判そのままである、という非常にラカン的な、根本敬的にいうなら「因果」を感じさせる事態が生じた(樫村本はまだ読んでいない)。読んでないけど、第二次安倍内閣のほうが不気味なまでにベタな、本音モロダシな、破廉恥な事態なので、たぶん、今のほうが、奇妙なまでに合致してしまうのではないかな。まるで、予言書みたいに。

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