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    ふくしま現代朗読会・第2回芥川龍之介

    芥川

    昨日(2015年8月23日)はふくしま現代朗読会@ホテルハマツ。成功裏に終了です。芳名帳の記入欄が足りなくなったそうな。みんな来て(そして聴いて)くれてありがとう。


    今回の公演会に向けて、わりと久しぶりに、芥川に本格的に向き合ってきたわけですが(いくつかブログ記事にもしましたが)、リハーサルと本番で出演メンバーが読んでいるのを聴いて、個々の作品について「あれ、この作品って、こんなに面白かったっけ?!」という驚きがあったのは収穫と言ってよいでしょう。


    ここ何ヶ月か、芥川評として代表的とされているものをいくつか(既読未読問わず)読んでみましたが、やはり柄谷行人の3つの批評――「芥川における死のイメージ」「藪の中」「日本精神分析」(「神神の微笑」論)――が飛び抜けていることを再確認できた。芥川を、読むのにも(黙読であれ朗読であれ)、聴くのにも、現時点では、柄谷による批評なしにはありえないと考えている(ぼくにとっては、ね)。

    柄谷が批評という形式でやったことを、朗読という形式で再現してみたい、という動機で、ぼくは朗読という行為を続けています。


    ぼくじしんは、朗読者としてはまだまだ、目標とする地点まではほど遠いですが、今回の公演会で自分に課した合格ラインは、とりあえず、突破。まあ、よかった、よかった。

    目標とする地点、というのはどこなのか、定義としては「聴いている人に、そのテクストに宿っている遂行的(performative)能力(=カタルシス効果を引き起こす潜在的可能性)を最大限に引き出して、聴いている人の心身にその効果を到来させるような朗読者」となるでしょうけれども。

    いないのかもしれないけど、そんな「人」は。

    あるのは、個々の、出来事としての「朗読行為」であって、「朗読者」という人は、いないのかもしれない(「うまく」読む人はいますが、それを聴いて感動する、ということはまた別であるように思う。理想的には「うまくて、カタルシスを与える朗読」をすることだけど)。



    反省点を言い出したらきりがなくなるけれども、今回の朗読会で自分に課した合格ライン、という観点からいうと、反省点がふたつある。


    一点目。計画が狂ったときのフェイルセーフが機能しなかった(「フェイルセーフ」というのは、障害が発生することを織込んで、障害時に安全側に倒れるようにシステムを設計すること。計画は狂うものだと思え!)。


    本番に向けてのトレーニングと計画、というのを、朗読にかぎらず、ぼくはいつもどうやっているかというと、たいてい、本番の1~2週間前ぐらいに自分のピークを持ってきて、そのピークの7割の力を発揮すれば合格点、というステータスにします。

    簡単にいえば、「練習と同じことを、本番でもやればOK」という状態にしておく。これなら緊張もしないし、そうすると結果的にパフォーマンスを最大限に発揮できて、本番でさらにピークを超えてくる、なんてこともあります(70点のときもあるけど)。

    ぼくはレジュメありの講義であれば何百人の前であってもまるで緊張しませんが、原稿のない、3人での雑談のような場面では、逃げ出したくなるくらい緊張しますし、じっさい逃げ出します(笑)ときどき。

    去年の第1回朗読会では計画がうまくまわって、緊張もまったくしなかったし、じっさい本番でピーク超えした、ように記憶している(記憶の捏造かもしれないけど)。


    ぼくのトレーニング内容について、先日書いたけれど、結局、ピークを練習期間中に持ってこれなかった(理由は骨折して車の運転がしばらくできなかったから、ということにしているけど、ほんとはもっといろいろある)。

    象徴的なのは、本番前日に録音した「自信を付けるためのテイク」の失敗。このテイクは、いつものように欠点や克服するべき弱点を目立たせるのではなく、「歌モノ」のマスタリングと同じように、耳障りな部分を消して、倍音成分を強調するなどして「綺麗に」聴こえるようにしたもの。

    ところが本番当日の朝、念の為に聞いてみると、これが「速い」!

    「蜜柑」の、ぼくの読み方での適切な速度よりも1.2倍ぐらい速い!

    こりゃまずい、ということで、アプリに頼りました。NHKの語学用アプリで、速度を変えられるお得アプリ。


    Android

    iOS


    これで速度を0.8倍にして、耳を馴らして、本番では早口にならないように注意する!

    ……などということを、本番当日にやるようなテイタラク。

    本番当日に自分のピークを持ってくる、っていうスポーツ選手みたいなのは、個人的には性に合わない。だって緊張するの嫌いだし。

    本番で、ステージに上がってしまえば、とくに気にするようなことはなにも生じないのだけど、本番前に待機してるときにナーバスになるのは、とても、嫌いです。自己嫌悪に陥るから。


    とはいえ、本番ステージも、ちょっとなあ。この際だからダメ出ししておくと、練習期間中に「低音に頼らない」トレーニングを徹底していたのに、「速い問題」が浮上したために、この禁じ手を解禁。

    結果、ダイナミクスが、音量レベルに適切な範囲に収まらない幅になってしまった。

    本番後、休憩時間中に、トイレで隣の隣のおっちゃんが「マイク、音割れてんね」と。

    はい、わかっとります。

    サーセンっした。



    二点目。発声の基本的な部分を考慮に入れて練習していなかった。

    去年の自分の課題は「鼻腔共鳴を減らす」ことだった、ということを、いつだったか、書いた

    ぼくの「鼻にかかったような、聞き取りにくい、もっさりした声」はずっとコンプレックスで、これを克服したくて、いまの師匠の「話し方教室」に通いだしたのが、朗読をはじめるきっかけでもあった。

    普通に発音して、両手の指で鼻の穴をふさいだときに、音色があまりに変わりすぎる場合、鼻腔共鳴が強すぎるか、咽喉腔共鳴などの他の共鳴器官での共鳴が弱すぎる、という記事を読んでいた。

    去年はだから、咽喉腔共鳴にフォーカスして、増強する、というシンプルなもので、それゆえ集中できたというのもある。

    ところが、「発声に(声の音色の決定要因として)鼻腔共鳴はほとんど関係しないということになってきている」という記事を見かけて(上述の記事と同じ執筆者だったと思うが)、真に受けてしまった、ということがあった。

    それ以来、自分の声の「嫌な所」に注意が行き届かなくなった。なぜかというと、咽喉腔共鳴が十分強くなったので、鼻腔共鳴を気にする必要はないだろう、と思っていたから。


    これに関しては、いろいろ言えることがあって、ひとつには、そもそも発声の科学的・学問的な分析は、まだ確立されておらず、オカルト的な理論がまだまだ多く、だから、なにかの理論を全面的に信用しないほうがよい、ということ。

    もうひとつは、咽喉腔共鳴に頼りすぎることを、今回、禁じ手にする練習をしているのだから、それに伴って、自動的に鼻腔共鳴が目立ってしまうのは当然であるということ。


    う~ん。不覚。

    これに気づいたの、本番2日前とかなんだよな。

    だから本番で、必要もないのに軟口蓋で共鳴させてみたりして、ビリビリいわせてしまったというわけなのだ。



    ……とダメ出しが長くなったけれども、それはぼくがダメ出し大好きだからであって、けっして、ぼくの朗読がまるでよくなかったというわけではないですよ(笑)。

    わりと、よかったです。

    「わりといい」というのは自己評価で、「すごく良かった」という他者評価をたくさん頂いております。

    とくに、去年聴いて以来、1年ぶりに聴いた方からは、非常に上達したという評価を頂いております。

    ご心配なく。


    すっごく脱線するけど。

    親に言われて、斎藤一人の自己啓発本をうんうんうなって読んでおりますが(笑)、どうも、理にかなっているところとそうでないところが混在していて、読み進めるのが難しい状態になっとります(反知性主義を心の底から嫌悪しているこんなぼくでも、理にかなっていれば、いわゆる自己啓発本も評価することはあるのです)。

    (親、って、ぼくの親がどういう親かというと、電気グルーヴの「ポパイポパイ」に出てくる、トレーナー送る系の親です(笑))


    理にかなっている部分は、「幸福になりたければ、いますぐこの瞬間から幸福になればよい」というところや「苦労はしてはならない」というところ(「苦労」はいいんだっけ? 忘れちゃった。ようは「苦労を苦労と思うな」みたいなことで、カタストロフが来たらワクワクするでしょ、ってこと)。

    理にかなっていない部分は、なんだっけ、詳しくは忘れちゃったけど、「足るを知れ」みたいなことを言っているところ。足るを知らないから幸福を感じることができないんだ、みたいなことを言っていて、よくわかんない。

    現状に満足か不満足か、ということと、幸福か不幸かということは、なんの関係もなくね? って思うんですが。ぼくが変なのかな。

    だって、ある対象――自分の状態とか、経済的地位とか、能力とか、なんでも――を入手していないとき、努力しだいで入手可能であれば、科学的努力をして入手すればよいし、それで不満足から満足へ移行すればよい。でも幸福か不幸かは、ぜんぜん、別だ。努力してもどうにもならないことであれば、入手できないような状況(これは「自分」ではない)がよくない(悪い)のだし、場合によっては社会制度の欠陥かもしれない。このとき自分は不幸ではない。不満足ではあるかもしれないけど。

    難民申請が法務省から拒否されたことを裁判所が違法と判断したのに、法務省がまた難民申請を拒否した、みたいな中世以前な国があるけど、そういう社会には修正すべき欠陥があるわけです。そういう社会には不満足を感じなければ、そっちのほうがおかしいのであって、「足るを知れ」とか言ってすませるのは怠慢だし、(自己)欺瞞でさえある。

    で、そういう不満足を感じることができる自分の健全な状態というのは、不幸なことではない。幸福感は感じないかもしれないけど、「不幸だ」とだけ言って済ますのはやはり自己欺瞞だ。


    そうそう、脱線して、なにを言いたかったかというと、朗読していて「自分はこれが出来ない」と明確にわかることは、むしろ嬉しい事です。大抵の場合――「大抵」というのは、生活全般に関してという意味――なにが出来ないのか、わからない、だからツラい、みたいなことは往々にしてあるからです。

    で、「これができるようになりたい」と思ったら、どのルートが、できるようになるためのルートか、というのを把握して、そこを通るための計画を練ればよいだけでしょう。


    脱線ついでにいうと、努力すれば克服可能なハードルでも、そこにリソースを割くことじたいが非常に嫌だ、ということは、あるわけですね。

    ぼくじしん、さっき、雑談的状況からは逃げ出したくなる、と書いたけど、いちおう、一時期、克服の努力をして、克服できたわけです。雑談に関しては、「話題の階層化」とか、「Yesセット」とか、いろいろスキルがあって、持って生まれた能力の問題では無いわけです。スキルの問題だから、かなり救いがある。

    とある臨床心理士に弟子入りして、(臨床心理学とまるで関係ないけど)伝授してもらったことがある。

    で、ひと通り、そういうスキルを知って、実践してみると、バカみたいにスムーズに雑談が進むわけです。

    で、思ったのは、気の合う仲間とダラダラ雑談しているのはとうぜん楽しいけれども、誰とでも雑談して楽しいかというと、そうでもない。

    だから、もう、そういう小手先のスキルを使うのを、一切やめてしまった。それで困ったことは一度もない。

    ぼくは内省することが子どもの頃から好きで、他人と雑談するより内省(自己対話)している方が、面白い対話になることが多い。偶発的要素を取り入れるには、他者と対話することが必要ですが(あと、交渉などもそうだけど、それは雑談ではない)、大抵の場合、他人と雑談しても、紋切り型の答えしか、返ってこないわけです。自分自身以上に突拍子のない応答をするような人には、めったに出会わないわけです。又吉直樹の『火花』のあの2人がとてもいいのは、対話の水準をここ以下に下げてはならない、という強い意志が感じられるからでしょう。

    それで何が言いたいかというと、リソースを割きたくないことに、過剰にリソースを割いて、克服するのも、自己欺瞞だということです。

    ぼくの場合は、雑談できれば、きっと楽しいはずだ、と錯覚していたから、その錯覚を解除するために、ひと通りスキルを学ぶことには意義があったけれども、それ以上のリソースを投入するのは、楽しくないのに努力していることになるわけで、自己欺瞞になるでしょう。


    すげー脱線した。



    このブログでは、『花もて語れ』を題材にして「朗読論」と題した記事を不定期に書いているのですが、読んでくれているという方が、公演会のときに話しかけてくださって、嬉しかったです。

    『花もて語れ』をネタに「朗読論」を書くというのを、しばらく中止していました。なぜなら、次に扱う第3巻は、モロ、「トロッコ」の巻なので。朗読会のメンバーの朗読に影響を与える可能性もなきにしもあらず、と思って自分で禁止していました。

    【15.08.25訂正】『花もて語れ』第3巻は「花咲き山」、第4巻が「トロッコ」です。

    13巻が「蜜柑」の巻で、「蜜柑」の記憶が薄れないうちに、再開したいなと、思っておりやす。



    ●文献

    柄谷「芥川における死のイメージ」↓

    柄谷「藪の中」↓

    柄谷「日本精神分析――芥川龍之介『神神の微笑』」↓

    斎藤一人の本↓

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