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    Facebookをやっていると

    lamp

    Facebookに

    1日2回ぐらいログインする

    読みたい投稿があるわけではないが

    世俗側の伝達事項があるならば

    チェックのし忘れを避けたい



    メールチェックも1日2回ぐらいだが

    メールはInboxで

    doneリストにいったん放り込む

    残ったメールをブラウザで読み

    返事を書く



    Facebookは

    伝達事項がなくとも

    タイムラインが目に入る

    それに応答しないとしても

    コミュニケーションコストがかかる



    コミュニケーションとは

     情報 / 伝達

    の 差異 を

     理解

    することである。

    ひとが

    コミュニケーションそのものを

    観察することは

    できない。



    「伝達行為」へと

    縮減(reduction)し

    ひと(Person)へ帰属する



    という間接的方法をもってしか

    ひとはコミュニケーションを観察

    できない



    LIKEボタンをクリックするのに

    1日分の、半分ちかくのエネルギーが

    消費される

    1回クリックするだけでも!

    厳密に言えば

    クリックすべきか、しないべきか、

    という決断を下すことに

    疲弊させられる



    公園での散歩中に背後から警官に呼びかけられる

    ときのように

    命令によって主体化が行われる



    倫理は「押すな」と命じる

    道徳は「押せ」と命じる

    命令はつねに複数である

    これも厳密に言えば

    道徳の声は

    複数である

    またさらに厳密に言えば

    多数多様体である



    この複数性が

    コミュニケーションコストを

    過剰に増大する



    ではこの複数である道徳をよくみてみよう

    ひとつの道徳は多数派の暴力として立ち現れる

    ひとつの道徳は大衆への羨望として立ち現れる

    ひとつの道徳はゴシップ趣味として立ち現れる

    ひとつの道徳は愛情の毛皮をかぶって立ち現れる

    ひとつの道徳は善意の毛皮をかぶって立ち現れる

    ひとつの道徳は

    (以下同様)



    倫理はすべての道徳に対して

    否(Nein / Non)をつきつける

    というわけではない

    ただたんに

    非倫理的なものの前で無力であれと命じる

    それと同時に

    非倫理的な事態を見過ごしてはならないとも命じる



    ここにも複数性がある

    とはいえ

    道徳との相対的関連のなかにおいて

    倫理は複数になる



    考えてわかったこと:

    コミュニケーションコストの増大という事態は

    たんに道徳の複数性によってのみ

    もたらされるというより

    倫理を複数にするという

    暴力

    を体験することから発生している

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