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    悪が生じる瞬間を撮影した映画「アクト・オブ・キリング」

    フォーラム福島

    [14-09-09:追記・修正。追記部分にはアンダーラインを付した。助詞の修正などはいちいち断らなかった。]

    2012年に公開されたこの作品は、2014年のアカデミー賞(長編ドキュメンタリー映画賞)の候補作になっただけでなく、世界中で60以上の映画賞を受賞している。

    日本では今年の4月から公開されているが、福島県では今週一週間のみ、フォーラム福島で上映されている。

    まさか映画館で見ることはできないだろうと諦めかけていたところ、素敵なレディーにお誘いいただき(感謝!)、フォーラム福島に連れて行ってもらうことができた。


    とても複雑な作品だ。

    あまりに複雑すぎて、観たあとに動揺してしまうのは、この映画の終盤近く、ほぼ主役といってよいアンワルが強烈な吐き気をもよおすシーンの苦しさによるものだけではあるまい。

    この作品の舞台は1965年(9月30日事件)以降のインドネシアで、前もっての知識が必要になる作品ではないのだが、この複雑さをすこしでもときほぐすために、ざっくりおさらいしておこう。


    (めんどくさい方は、「独立運動」あたりから読めばいいと思う)


    インドネシアを含む東南アジアの風土


    というわけで、山川の『詳説世界史B』と同『用語集』を引っ張り出してきた。


    世界史の教科書的には、まず東南アジアという地域は、インドなどの西方世界と中国を結ぶ交易ルートの中間、という記述からはじまる。

    おそらく日本の「先住異民族」(柳田国男が「山人」とよんだ)は、東南アジアもしくはポリネシア・ミクロネシアからの渡来が多かっただろう(もちろん日本の民族的ルーツは単一ではない。北方からの渡来と南方からの渡来が複雑に混血していった結果が日本人ということになろう)。


    そもそもインドネシアは70以上の民族からなる多民族国家だ(水本達也によれは、300の民族集団から構成される2億の国民が、400の母語を使用して生活している)

    「ネシア」とは諸島を意味し、じっさい13466の島からなっている(正確な数は政府さえ把握していない)。


    王国時代


    先史時代は石器時代と金属器時代からなる。

    ついで「王国時代」が訪れるが、この時代の特徴は「インド化」である。紀元前1世紀頃から渡来するインド商人の影響から、ヒンドゥー教文化を取り入れ(そのなかには「王権概念」「大乗仏教」もある)、5世紀頃から王国が建国されはじめる。有名どころではシュリーヴィジャヤ王国、シンガサリ王国、マジャパヒト王国など。


    8世紀ころからムスリム商人が東アジアから中国へと交易圏を拡大するあいだに、東南アジアのイスラーム化はすすんだ。現在もインドネシア人の大多数がムスリムである。


    しばらくヒンドゥー教文化・仏教文化・イスラーム教文化が混在する。


    オランダ領東インド


    世界史的には、16世紀にいきなりぶっとぶ。

    オランダ領東インドの形成である。

    (概して世界史の教科書は東南アジアの歴史の記述が薄い)


    インド航路において先行していたのはポルトガルだが(日本の種子島にも漂着している)、オランダは1602年、東インド会社を設立してジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)を根拠地に、ポルトガル商人を排除しつつ、香辛料貿易の実権を握る。さらにアンボイナ事件を転機にイギリスの勢力をインドネシアからしめだす。

    18世紀半ばにはマタラム王国がほろぼされ、オランダはジャワ島の大半を直接支配下においた。

    ジャワ島を舞台として発生したオランダ支配への大規模反乱であるジャワ戦争が1825~30年。

    同時期に、東南アジアにはイギリス・スペイン・フランスが進出しており、これらの植民地主義国家の覇権争いの場として、東南アジアは語られる。

    ポルトガル領ティモールをのぞいて、東インド諸島がオランダ領になるのは20世紀に入ってからである。


    オランダでは、衰退し続けるインドネシア社会の状況に批判的な世論が形成され、20世紀にはいって植民地政策を転換した。すなわちオランダ語による教育である。こうして高等教育を受けた層が、民族的自覚をもちはじめる。

    1911年、イスラーム同盟(サレカット=イスラーム)が結成される。これがやがて政治活動も行うようになり、民族独立・社会主義をかかげる。


    独立運動


    ここからいよいよインドネシアがはじまる


    第一次世界大戦、ロシア革命(1917年、「生稲晃子がロシア革命」で覚えたのがぼくの世代で最後だろう)。

    1920年、アジア初の共産党としてインドネシア共産党が結成されるも、激しい弾圧から壊滅。

    1927年、スカルノを党首とする国民党が結成され、1928年、インドネシアという統一された国民国家の独立が宣言される。

    1929年末にはスカルノやハッタらといった指導者が逮捕され、運動は沈滞した。


    日本軍政


    オランダの植民地支配が破られるのが、1942年の日本軍の侵攻によってである。

    オランダによって監禁されていたスカルノやハッタらを解放し、「インドネシア」の呼称を認めるなど、オランダとは異なる政策をとった。「大東亜共栄圏」時代である。

    日本は軍事教育を行い、このときの軍事教育を受けた青年たちが、独立戦争期の中核となる。

    日本は1945年3月、東インドに独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させた。8月7日、スカルノを主席とする独立準備委員会が設立され、28日には第1回会議が開かれる予定だったが、15日の日本の降伏で、中止された。


    インドネシア独立戦争


    独立が反故になるのをおそれたスカルノらは、17日、インドネシア共和国の独立を宣言。これを認めずに再植民地化しようとしたオランダと武力衝突。

    独立戦争は4年間続いたが、インドネシアの共産化をおそれたアメリカの圧力で、オランダはインドネシア独立を認めざるを得なくなった。


    スカルノ時代


    1950年憲法で議会制民主主義の導入を試みたが、これが機能しなかった。

    1945年憲法を復活させ、「指導される民主主義」と呼ばれる、大統領権限の強い政権を開始する。


    ここでようやく、この記事の主題に入ることができる。

    デヴィ・スカルノ(スカルノの第三夫人)によれば、スカルノは第三勢力の形成に尽力していたようだ。

    デヴィ夫人:スカルノ大統領は別に共産主義者ではありませんし、共産国とそんなに親しくしていたわけではありません。あの当時(この映画の背景となっている1965年9月30日にインドネシアで発生した軍事クーデター「9・30事件」)、アメリカとソ連のパワーが世界を牛耳っていた時に、スカルノ大統領は中立国として、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの勢力を結集して第三勢力というものをつくろうと頑張っていた為に、ホワイトハウスから大変睨まれましておりました。太平洋にある国々でアメリカの基地を拒絶したのはスカルノ大統領だけです。それらのことがありまして、ペンタゴン(アメリカの国防総省)からスカルノ大統領は憎まれておりました。アメリカを敵に回すということはどういうことかというのは、皆さま私が説明しなくてもお分かりになっていただけるかと思います。

    (以下基本的に引用はこの大虐殺には日本も関与していた─映画『アクト・オブ・キリング』デヴィ夫人によるトーク全文|60年代にインドネシアで起きた大量虐殺の実行者に再び殺人を演じさせたドキュメンタリー - 骰子の眼 - webDICEより)


    9月30日事件とは、大統領親衛隊が陸軍のトップ6名を暗殺した事件にはじまる(これが「クーデター」とよばれるのだが、政権を奪取するのには失敗しているため、「クーデター未遂」となる。しかしこれに引き続く、スハルトによる一連の共産党弾圧を指して「9月30日事件」とよぶのが一般的である)。

    クーデターを収拾したのがスハルトだということになっている(教科書的には)。

    しかし、このときにインドネシアでおきていたのがクーデターだったのかどうか、映画を観て判断して欲しい。

    アメリカも日本も、このとき、スハルトを支援していた。


    町山:クーデターが起こった時、どちらにおられましたか?


    デヴィ夫人:私はジャカルタにおりました。大統領もジャカルタにおりました。(スハルト将軍は)大変頭の良い方で、それがクーデターだとなったというのは結果的なもののわけで、要するに、その当時のインドネシアの情勢を完全に彼が握ってしまったということなんですね。そして当時の空軍、海軍の指導者たちにも国民から疑いの眼を向けられるようにしたりしました(*スハルトは陸軍大臣兼陸軍参謀総長)。その当時のアメリカ、日本はスハルト将軍を支援しています。佐藤(栄作)首相の時代だったのですが、佐藤首相はご自分のポケットマネーを600万円、その当時の斉藤鎮男大使に渡して、その暴徒たち、殺戮を繰り返していた人に対して資金を与えているんですね。そういう方が後にノーベル平和賞を受けた、ということに、私は大変な憤慨をしております。


    以後、歴史的には、スハルト時代、スハルト以後、ということになっているが、政治はいまだに混乱している。

    経済的には発展したが、いまだに1965年9月30日事件を、民衆は恐れている。

    共産党は現時点でも違法である。


    共産党と手を組み、議会制民主主義をないがしろにして「指導される民主主義」の時代を築いたスカルノ。

    それを打ち倒した、反共親米主義のスハルト、そしてそれ以後。

    ――というのが、国際社会の建前である。


    ここにあるのは、悪であるスカルノ・善であるスハルト以降、という参照枠である。

    残虐でサディスティックな共産党に、民衆が反旗を翻し、混乱を沈めたのがスハルト、ということになっている。


    この映画では、冒頭からいきなりこの参照枠がひっくり返る。

    1965年に、100万人とも200万人ともいわれる虐殺を起こしたのは、地元のギャングをはじめとする民間人だった。

    彼らは、「共産党なんかより、俺達の方がずっと残虐だった」と誇らしげに語る。

    どれだけ残虐にやれるか、ということに、彼らの自尊心の拠り所は存在する。

    スハルト新体制下の1973年、この一連の虐殺で共産主義者を殺した者へ法的制裁は課さないことが、検事総長によって決定される。以後、現在に至るまで、虐殺執行者たちは、国民的「英雄」とされている。オッペンハイマー監督は、同じ農場で、加害者本人と、被害者の家族が一緒に働いている現実を見て驚いている。


    虐殺を実行したチンピラを「プレマン」というが、語源はフリーマン、つまり「自由な人々」だった。彼らは「自由に、やりたいように、殺しをした」ことを懐かしげに語る。

    そこに、〈善/悪〉の参照枠はない。

    いわば、〈徳virtue〉のみがある。

    彼らが「自分たちの歴史を伝えるための映画」をつくる過程で、ラストシーンとして選ぶのは、針金で首を絞められて殺された「共産主義者」が(これは殺戮を行った人々が、被害者に貼ったラベルにすぎない)ギャングのボス・アンワルに金メダルをささげ、「私たち1000人を天国に送ってくれてありがとう」と感謝するシーンである(アンワルは、自ら「自分は1000人を殺した」と語っている)。



    この映画を複雑にしているのは、国際社会が前提としてきた参照枠がくつがえるからだけではない。

    インドネシア政府は公式に、65年の虐殺は間違いだったと認めた(この作品のアカデミー賞ノミネートをきっかけに)。

    しかし、監督オッペンハイマーが語るように、インドネシアの政治がいっぺんに大きく変化することはない。


    ──この作品が完成したことが、アンワルと仲間たち、スポーツ副大臣らにどのような影響があったでしょうか。


    「もちろんこの作品の制作に参加することを通じて、アンワル自身にエモーショナルな影響がありました。そしてアンワルの相棒であるヘルマンについてはパンチャシラ青年団を辞め、また、唯一メダン市でこの『アクト・オブ・キリング』を公式に上映してくれました。しかしその他に大きな変化というものはありません。もちろん、アカデミー賞ノミネートをきっかけにインドネシア政府が初めて65年の虐殺は間違いであったと公式に認める、という変化はありました。大統領のスポークスマンが、この映画に出てくるような人々を嫌悪すると述べたのです。しかし、その言葉が元副大統領やパンチャシラ青年団のリーダーを断罪することになるのだと、彼が理解していたかどうかは分かりません。政府は時間をかけて和解を達成するつもりだと言っていますが、それはこれまでの見解とは180度違うものですから、その意味では変化と言えると思います。

    ジャーナリストたちもこの問題についてオープンに語れるようになったものの、記事の中にパンチャシラ青年団という具体名は登場しません。語られるとすればSNSの中だけというのが現状です。そして様々な政治家たちも特にとがめられることなく政治活動を続けていますので、そういう意味での大きな政治的変化はまだ訪れていません。マスコミでプレマン、ギャングスター、政治との癒着などは勇気を持って取り上げられるようになりましたが、実は個人名はほとんど出てきません。これはおそらくそれぞれの政治家に繋がっているチンピラたちを恐れてのことだと思います」


    この作品の複雑さは、ほぼ主人公といえる、アンワルの変化をカメラで撮っていることに起因する。

    作品終盤の嘔吐シーンには、「やらせ」疑惑がある(らしい。憶測としか思えないが)。しかしあまり意味のない詮索だろう。


    精神分析家ジャック・ラカンが「日本人には無意識がない」といったのは有名だが、この作品の冒頭1時間(つまり前半)にあるのも、「精神分析の不可能性」である。

    つまり、精神分析の前提には「否認」がなければならない。

    これは歴史的国民アイデンティティの文脈では「歴史修正主義」にあたる。

    「善なる自己」に含めたくない(認めたくない)「悪なる自己」を「否認」して無意識下に「抑圧」することで、はじめて精神分析が対象にできる「症状」があらわれる。

    しかし、アンワルたちギャングには、善も悪もない。徳だけがある。

    残虐だったことを、否認するどころか、「後世に伝えなければならない、俺達の歴史」だと主張する。


    ところが、オッペンハイマーのやり方は、彼ら以上にサディスティックだ。

    アンワルに、彼らがどのように殺したのかを、ありのままに映像化するように依頼する。

    撮影した映像を、アンワルに観せる。

    アンワルは、「白いパンツはよくない。ハイキングに行くみたいだ」と反省(reflexion)を行う。

    この反復を、精神分析のセッションのように、しつこく繰り返す。


    しだいに、アンワルの精神に、切断線が導入される。

    〈善/悪〉の差異、である。

    アンワルは「俺は断罪されるのか?」と述べる。


    ──登場人物たちは、この作品を観てどのような反応を示しましたか?


    「アンワルには作品が出来上がったら観てほしいとずっと伝えていましたが、彼は観ることに怖じけづいてしまいました。トロント映画祭の後、彼をジャカルタにあるインターネット環境の良いホテルに連れていってもらい、スカイプを通して彼のための試写を行いました。映画を観た彼はとてもエモーショナルになり、当時の記憶が戻って来たのか、あるいはショックを受けたのか、作品が終了したあとは20分間沈黙していました。その後、バスルームへ行って戻って来た彼は『自分であることがどういうことかが分かる映画だ』と言いました。そしてまたしばらく沈黙してから、『自分のしたことをただ描くのではなく、そのことの意味が描かれていてとてもホッとしている』と言っていました。痛みを伴う経験ではあったけれど、彼の中では少し安堵する何かが感じられたのではないかと思います。その様子を見ていた私は、まるで彼の闇を一緒に見ているようでした。その闇は、おそらくみなさんも見ているものだと思います」


    「自分であることがどういうことかが分かる」という。

    自分である、いいかえれば、「自己-が-在る」という現象を、「分かる」とはどういうことなのか。

    単純化するなら(この記事自体、この複雑な作品の複雑性を縮減しようという意図で書かれている)、精神分析的主体が生成される、という事態だろう。

    言うまでもなく、アンワルに生じた否認は、事後的な否認である。

    それまでは、あからさまに「俺は誰よりも残虐だった」と述べており、そこには一切「悪」の含みはなかったのだから。

    だから、否認不可能なことが、否認の対象として浮上してくるという現象を、かれは体験している。


    どうか、噂通り、ラストの嘔吐シーンだけは、「やらせ」であって欲しいと願う。

    あのシーンがドキュメンタリーであるとするならば、あまりにも苦しい。

    「歴史修正主義」は、精神分析的には、正常な(もちろんあまりにイージーだが)「防衛」だろうと思う。

    嫌韓・嫌中で美しい日本で「とりもろす!」とか言っていればそれで精神が安定する連中には(ネットに接続していなくても、全員「ネトウヨ」だ)、安心して「馬鹿」と言うことができる。じっさい有害な連中だから、国連勧告を受けて犯罪者になればよかろうと思う。

    アンワルは、そのような防衛さえ許されないまま、精神分析的主体を形成してしまった。それを見届けなければならなかった我々観客は、彼の「吐き気」を分有しなければならない。



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    [C23]

    安倍のやり方は大嫌いだけど、最後の方の文、左翼丸出しで残念だよ
    • 2015-07-30 14:25
    • anonymous
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